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【Mazda Boxer】 マイノリティなマツダの4トン車

ここ数年、Mazdaの乗用車は 「デザインと走り」 でお客様の心を掴み、
好調なセールスを続けていると聞きます。

そんなMazdaにも過去には経営危機があり、1973年のオイルショックの影響でロータリー車が売れなくなった時期と、1989年に展開した 「5チャンネル体制」 の弊害によりフォード傘下になったが有名です。(2015年9月に資本関係を解消)

またMazdaの過去には4トントラック市場に参入していた時期があり、
「MAZDA BOXER」 という名のトラックを発売(1969年~1980年)していましたが、
販売台数が少なかった影響か、日本ではまずお目にかかることは出来ません。

vietnam_HoChi MinhCity
2015年11月、ベトナム・ホーチミンに行く機会があり、空港からホテル移動では軽いボッタクリタクシーに逢うし、街中を歩けばしつこく勧誘する人(自転車タクシー)が多いし、アオザイという民族衣装を着た女の子は居ないわで、ベトナムに対する残念な気持ちが残ったままホテルで就寝することにしました。



ホテルの部屋で歯磨きをしながら外を眺めていると、近くに古そうなトラックを発見!
キャビンの型から 「マツダ・ボクサーか!?」 と思ったのですが、
ベトナムなので残念な 「起亜ボクサー」 の可能性の方が高い。

ある種の不安を持ったまま、古いトラックを確認しに行くと、そこには

Mazda_Boxer_vietnam_2.jpg
正真正銘の 「マツダ・ボクサー」 が駐車していました。
ホーチミン市中心部にはトラック規制があって、重貨物車は6:00~21:00までは市中心部に乗り入れることはできません。

従ってこのボクサーも深夜時間帯になったことで移動してきたのでしょう。 運転席には昼寝(?)している人、荷台にもハンモックで寝ている人が居ました。

Mazda_Boxer_vietnam_1.jpg
ボクサーといえば 「6つ目ライト」 とフロントパネルに設けられた 「コーナーウインドー」 が特徴で、個性的な顔立ちをしています。 これらは安全設計思想が込められた結果の機能であり、コーナーウインドーについてカタログには 「足元の確認ができる大きなウインドー。 カーブ時やスタート時の安全を高めます」 と書かれていました。

ちなみにフロントに書かれた ”suachuadien” というのは電気修理らしいです。

Mazda_Boxer_vietnam_3.jpg
架装は建柱車っぽいのですが、地面を掘るドリルは見当たらないです。
ハンモックで寝ている人や電線リールの上で寝ている人の姿が確認できますね。

IMG_9025.jpg
ホーチミン郊外では ”残念な方の起亜ボクサー” を見ることができました。
ボクサーの特徴であるコーナーウインドーはあるものの、フォグライトはバンパー側に移設されてしまい4灯式ライトになっています。

マツダ・ボクサーのライセンス生産車なので似ていて当然ですが、販売台数ではおそらく起亜の方が多いと推測します。 結局ベトナム滞在中はこの2台しかボクサーを見かけることができませんでした。


1970-1974_4t車市場シェア
気になるマツダ・ボクサーの国内販売ですが、1970年から1974年までの国内4トン車市場を見てみると、2.5%前後で推移しています。

この時期は三菱ふそうと日野自動車が4トン車市場を牛耳るため、馬力競争を筆頭とする開発競争が毎年行われていたため、4トントラック市場を本業としていなかったマツダやトヨタのシェアは低いままだったのです。
(データ出典:初代 日産ディーゼル・コンドルの発売資料より)

1970-1974_4t車市場_販売台数
マツダ・ボクサーの販売台数を見ると、年間2,000台強(200台/月)のイメージ。
1969年~1980年までの累計販売台数を予測しても20,000台弱がいいところ。
(1973年下期からの販売台数の落ち込みは、オイルショックの影響によるもの)

IMG_8093_2016070310472353e.jpg
ここ20年近く現役のマツダ・ボクサーを見たことがありません・・・

廃車体であれば2台は確認済みで、その1台は北海道で目撃したダンプ。
欠品や破損が多いので、レストアするにはハードルが高そうですね。
純正色の「ブローニー・イエロー」に白の帯が入っている個体でした。
(ブローニーとは英語で力強いという意味)


IMG_5414_20160703104719e52.jpg
もう1台のボクサーは簡易クレーン付きの平ボディ車。
ミラーサイズ、ポジションランプのクリア化などから推測すると、
1974年から1980年頃までの後期に生産されたモデルのようです。
ボディーカラーはこの時期に採用された 「パワードグリーン」 と呼ばれるもの。

あぁ、動いているマツダボクサーを見てみたい。


【Mazda BOXER】
国内販売期間 1969-1980年
絶滅度 ★★★★☆
レア度 ★★★★★


1969年10月1日、マツダはキャブオーバータイプの中型トラック 「ボクサー(4t積、3.5t積)」 を発売した。

これは近年の輸送の近代化に伴い、輸送効率の高い中型トラックの需要が急速に高まっていることから、この市場に対処するためにマツダが初めて中型トラック市場に進出したものであった。

ボクサーは特に安全性、使い易さ、経済性をテーマにした設計で、ユニークな中型トラックとして登場した。 特にエンジンは、世界最大のディーゼルエンジンメーカーの(英)パーキンス社と共同開発した、YA型(6気筒、3.8Lディーゼル、110ps)エンジンを搭載し、 5速ミッションとの組み合わせにより、最高速度は1057km/hであった。 シートはこのクラスで初めて仮眠ベッドにもなるフルリクライニングシートを標準装備している。

当初の月産台数は500台とし、ボクサー4t車の価格は135万円であった。(東京)
「ボクサー」という名称は、ボクサー犬のようにたくましく、俊敏な車という意味が込められている。

【1969年10月】 中型キャブオーバートラック 「マツダ・ボクサー」 を新発売。
【1970年3月】  ボクサーに 「ロングボディ車」 と 「ダンプカー」 の2機種を追加。
【1974年11月】 ボクサーシリーズの全面改良を実施。
           エンジンは低・中速域での粘り強さを高めた新設計のZCエンジン
           (パーキンス社と共同開発 6気筒、5.5Lディーゼル145ps)し、
           使い易いエンジンとした。
           また、9機種にパワーステアリングを標準装備し、サービス面では
           チルト式キャブを採用している。
【1975年4月】  簡易クレーンの需要拡大に伴い、4.5t車をベースに2t吊クレーン付
           トラックを発売。
【1975年9月】  4t車をベースにトラックミキサー車を発売。
           昭和54年ディーゼル車規制(K規制)導入に伴い、販売を中止した。
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| Mazda | 07:14 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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【タイタン ウォークスルーバン】 宅配便と言えば・・・

欧米ではウォークスルーバンという「乗員が運転席と荷室の間を、車から降りることなく自由に行き来できる」「荷室では立ったまま作業することが可能」といった特徴を持つ車両が昔から存在していました。

日本では、1976年にヤマト運輸が”クロネコヤマトの宅急便”でお馴染みの宅配便事業をスタート。1980年代初頭にはヤマト運輸とトヨタ自動車の共同開発で「ハイエース・クイックデリバリー」という日本式ウォークスルーバンが量産化されたのが有名です。

ヤマト運輸だけでなく、1980年代には多くの運輸業者等が宅配事業に参入し、市場規模が急激に拡大したのですが、宅配事業を支えるデリバリーバンの開発においても自動車メーカー各社が一斉にスタートしました。

【トヨタ】ハイエース・クイックデリバリー
【ニッサン】アトラス・ウォークスルーバン
【いすゞ】ハイパックバン
【マツダ】タイタン・ウォークスルーバン

各社1t~2t積トラックシャシーにスライドドア+背高ボディを架装したものですが、当時からハイエース・クイックデリバリー以外はあまり見かけなかったように思います。

Titan_walkthrough_VAN_1.jpg
福岡県の実家に帰省中、某マツダ販売店前を通過しようとしたところ、車両置き場に「幻のウォークスルーバン」だと勝手に思い込んでいる”マツダ タイタン・ウォークスルーバン”を発見!

タイタン・ウォークスルーバンは日通ペリカン便で使われた話を聞いたことがありますが、実車を見た記憶も無く、ネット上でもほとんど取り上げられていないため、謎めいた車両の一台でした。

近くで見たかったのですが、店舗は正月連休中でお休み・・・
今回は歩道から車両を確認しただけでした。

2t積タイタン・ワイドローのシャシーをベースに専用ボディを架装。エンジンはベース車と同じ3ℓ(90ps)を搭載していると思われます。ボディの特徴としては、助手席側の三角窓やフロントガラス左上部に追加された窓など、視界確保の点では競合他社よりも力をいれていたように感じます。

Titan_walkthrough_VAN_2.jpg
Mazdaのエンブレムが無ければ何処のメーカー製か全く分かりませんね。

ボディ側面の窓やフロントのアニマルガードバーなどが追加されている点から、キャンピングカー的な使用を目的とした車両のようで、デリバリーバンでもなく、移動販売車でもないようです。

フロント周辺を中心に錆が進行しており、酷い部分はテープで応急処置されていました。

| Mazda | 21:30 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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【マツダ T1500/T2000】 三輪トラックの歴史

本日は”三輪トラック”の話題を取り上げたいと思います。

1980年前後までは、実家近くの肥料屋さんが乗っているダイハツの三輪トラックをたまに見かけていたのですが、
当時、私を含めた小学生たちは「うわーっ三輪トラック!」と叫び、時代の違うトラックの登場に少し小馬鹿にした感じでした。
(ちなみにその肥料屋さんは今も三輪トラックを保有しているとか)

私たち(団塊ジュニア)世代にとっては三輪トラックは過去の乗り物だったのです。

Mazda_T1500_1.jpg
【Mazda T1500】
静岡県の旧道を走っていると、駐車場の片隅に置かれた三輪トラックを発見。
ボディの所々に錆色が出ていて良い感じの状態になっていますが、きちんとレストアを行えば路上復帰も可能に感じます。

マツダのクルマづくりの原点は、1931年に発売した3輪トラック「マツダ号DA型」とともにスタートした訳ですが、このT1500/T2000シリーズが最終モデルとなり1974年頃まで生産されたのでした。

Mazda_T1500_2.jpg
【Mazda T2000】
こちらの車両は長野県で見かけたT2000型です。
T1500型の1500㏄ 1トン積み対して、T2000型は2000㏄ 2トン積みになります。
フロントフォーク形状はハーレーダビッドソンのスプリンガー式みたいです。
ルーフはキャンバスで覆われていますが、これは室内のこもり音や振動を解消するためなのかな。


【三輪トラックの歴史】

第2次世界大戦以前の3輪自動車はほとんどが貨物運搬用として使われ、各社の名称は3輪車、自動三輪車、オート三輪車、三輪自動車などとはまちまちで、「バタンコ」とか「バタバタ」などとも俗称されていたが、昭和25年にマツダが呼び出した「三輪トラック」という呼び名が一般化されたのでした。

終戦後、3輪トラック業界へ新規参入した企業は10社を数えたものの、昭和24年のドッジ不況下に数社が離脱。当時の三輪トラックはいずれも大型オートバイの後輪を2軸とし、そこに荷箱を置いた形式のものであり、バーハンドル式、サドル式運転席という運転姿勢で運転席をカバーするキャビンは無く、座席も風雨にさらされたままの戦前からのスタイルを引き継いでいたのです。

本来、三輪トラックのメリットは操向輪が1輪であるため、小回りが利くことや、予め過荷重を想定してボディを頑丈に造られている点など、四輪トラックよりも優れた面で支持されていたのであった。

昭和25年以降になると、車両寸法に制限がない三輪トラックは市場からの強い要請に沿って大型化の道を歩み続け、積載量の増大やロングボディの追加等の積載性向上と同時に動力性能の向上も積極的に推進されたのでした。

また大型化につれて装備も豪華になり、風防窓の取り付け、運転台の覆い、冷却性能の向上などと3輪トラックのイメージを大きく変えることになったのです。それは3輪トラックが性能的にも価格的にも著しく小型四輪トラックに接近し、両者の競合関係が次第に強まることを意味したのです。

昭和31年頃から日本におけるモータリゼーションの開幕始まり、依然としてトラックが自動車販売のウエイトを大きく占めていた。これまで圧倒的な生産量を占めていた三輪トラックは後退し始め、これに代わり小型四輪トラックが登場(トヨエース)して大きく伸び始め、トラック生産の地位は、小型四輪によって交代されるに至ったのです。

その後も3輪トラックはデラックス化を図っていくが、これに対し小型四輪トラック(トヨエースやキャブライト)の方は逆に簡素化による低価格化を押し進め、昭和30年頃から次第に価格の引き下げを実施し、3輪トラックとの価格差を著しく縮小していった。

結果的に三輪トラックの進化は限界に突き当たると同時に価格競争力を失う形になり、トラック市場を小型四輪トラックに奪われたのです。

| Mazda | 22:28 | comments:12 | trackbacks:0 | TOP↑

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【マツダ ボンゴ】 ボンゴの歴史に幕・・・

マツダは乗用車のハイブリッド化やEV化に乗り遅れ、販売面において苦汁をなめていましたが、昨年夏の「スカイアクティブ・テクノロジー」を盛り込んだの低燃費エンジンの発売など、マツダの意地を見せました。

ところが、益々厳しくなる排ガス規制や燃費規制に適合させるためのエンジン開発費用が、販売面で回収出来ないと判断され、マツダ・ボンゴの生産を撤退するというニュースを知り驚きました。 事情が違うけど、スバル・サンバーが消え、そしてボンゴも消滅してしまう・・・

商用車ファンにとっては悲しい話が続いて心が痛いです。

バイクの方でも90年代末に第一次排ガス規制をクリアできない車両が生産中止になり、2007年頃には第2次排ガス規制をクリアするために車両価格が1割程高くなったりと、環境に優しい自動車を生み出すには多くの犠牲が伴います。

1t積クラスの商用車領域では、マツダボンゴはもちろんのこと、日産や三菱にOEMで供給し「バネット」「デリカ」として販売・延命していたのですが、新型を開発するだけの体力が無かったようです。

Mazda_Bongo_Van_1.jpg
私がイメージする”マツダ・ボンゴ”といえば、この2代目(BA2系)ボンゴです。
昭和52年の発売当時、マツダは昭和50年代初めの排ガス規制で苦しんでいましたが、このボンゴとその後の赤いファミリアによって息を吹き返した程にヒットした車両だったのでした。

ボンゴの1BOX型は「ボンゴ・マルチワゴン」と呼ばれた9、10人乗りで、後輪小径ダブルタイヤによる「まったいら」がセールスポイントであり、シートを倒すと「フルフラットシート」が現れ、荷室の床面もフラットでした。

私が小学生の頃、このボンゴマルチバン(5人乗り)を購入した家があり、少年ソフトボールの試合などでは、この車に大勢で乗り込んで移動したもんです。通常のシートには上級生が乗って、シートが無い荷室には私ら下級生が4人がテールゲートから乗り込み、「足腰を鍛える練習だ!」と上級生に言われ、中腰で乗った思い出があります。

Mazda_Bongo_Truck_1.jpg
こちらは「ボンゴワイドロー750㎏積車」という後輪10インチの小径ダブルタイヤを持つ小型トラックです。2007年頃までは、近所で所有しているお宅があったので、さして珍しい車両だと感じず「いつか撮影しなきゃ」と思っているうちに更新されてしまいました。それ以降、現役車を見かけた事がありません・・・


【Mazda Bongo widelow】
推定年式 1977-1981年

1977年8月8日、荷物の積み降ろしが楽で積載効率も優れた750㎏積、1t積みの超低床・平床トラック「ボンゴワイドロー」を発売した。 750㎏積車の後輪タイヤは10インチダブルタイヤ、1t積車には12インチダブルタイヤを採用し、超低床・平床を実現している。 750㎏積車はTC型直列4気筒1,272㏄(77ps)ガソリン、1t積車はNA型直列4気筒1,586㏄(82ps)ガソリンエンジンを搭載している。

1978年1月12日、ボンゴシリーズに多用途に向く「ボンゴマルチバン」を追加した。 追加されたのは600㎏積、850㎏積、9人乗りの3種類で、それぞれ4ドア、5ドア、ルートバンを設定している。エンジンはトラックと同じTC型1.3ℓとNA型1.6ℓの2種類を搭載。

1978年3月24日、ボンゴワイドローに6人乗りの「ダブルキャブ車」を追加した。
1978年6月12日、ボンゴマルチバンに600㎏積「ハイルーフ車」を追加した。
1978年10月25日、ボンゴシリーズにレジャー等の多用途に使用できる「ボンゴマルチワゴン」を追加した。 9人乗りと10人乗りの2種類があり、いずれも5ナンバーの乗用登録が出来る。 
1979年7月27日、ボンゴマルチワゴンの派生機種「ボンゴボンディ・マルチワゴン」を追加した。 レジャーの大型化、送迎等の用途が多用化したのに伴い、乗用車感覚に溢れた装備とオプションを充実させている。

1979年8月3日、ボンゴボンディシリーズにワイドロー(トラック)とマルチバンを加えた。
1979年8月3日、ボンゴボンディシリーズにワイドロー(トラック)とマルチバンを加えた。 またボンゴシリーズの全機種に昭和54年度排出ガス・騒音対策を施し、またマルチバンにカスタム仕様車を追加した。

1979年10月16日、ディーゼル車の需要が高まる傾向にあるため、ボンゴシリーズにディーゼルエンジン車を追加した。 搭載されたディーゼルエンジンはS2型直列4気筒2,209㏄(70ps)で、優れた動力性能と燃費を実現している。

1980年2月12日、ボンゴマルチワゴンにディーゼルエンジン車を発売。

1981年1月12日、ボンゴ、ボンゴボンディシリーズにマイナーチェンジを実施すると共に、ワゴン系に最高級機種ウエストコースト(回転シート、サンルーフ等を装備)を追加設定。 フロント外観はラジエーターグリルを新設してエンジン冷却性能を向上、角形ヘッドランプ、大型バンパーの採用、リヤはコンビネーションランプの変更により安全性を高めると共に洗練されたスタイルに一新された。

| Mazda | 14:57 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

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【初代マツダ タイタン】青い巨人

初代タイタンはとても馴染み深いトラックの一台です。
私の地元である福岡県では、昭和末期頃まで近所の製材所や土砂販売店が使っており、通学の途中で頻繁に見かけていた記憶があります。
怒っているようで悲しんでいる表情は、同級生のN君を連想させるほどそっくりでした。

地元では昔からマツダ車の比率が高かったこともあり、初代タイタンはV型キャンターと同様に数多く生息していました。

Titan-1.jpg
北海道のリサイクル業者(中古農機も販売)で見かけたタイタンダンプを見かけ、久しぶりの同級生に会ったような懐かしい気分です。
足場の悪い場所を走行するために、タイヤの溝は深いリブ・ラグパターンを持ったタイプを装着していました。鳥居にはルーフを守るためのヒサシがついてこの辺り特有のファームダンプ仕様になっています。

オーバル形状のバックミラーも70年代の雰囲気プンプンですが、今のミラーサイズに比べると視野面積が非常に小さいですね。

ウインカー全体がアンバー色なので、初代タイタンでも初期のモデルになります。
(クリアとアンバー色の2色化されたのが1975年頃だと記憶してます)


【1st Mazda Titan 2t (EVB12D/EXC12D)】
推定年式 1971-1973年

1971年7月18日、2t~3.5t積小型トラックの「タイタン」シリーズを発売。
タイタンは1964年から小型トラック市場にEタイプトラックシリーズを販売しており、7年ぶりのフルモデルチェンジし、装いも新たにタイタンシリーズとして発売したものである。(タイタンとは巨人の神の意)
VA型直列4気筒1,985㏄(92ps)ガソリンとXA型直列4気筒2,522㏄(77ps)ディーゼルエンジンを搭載し、このクラス抜群の動力性能を発揮した。 シャープなスタイルに生まれ変わったタイタンは、ボディカラーもガソリン車(アポロイエロー)、ディーゼル車(オリンピアブルー)とそれぞれ色分けをし特色を出している。 ダッシュボードは上面をソフトパッドで覆い、シートはハイバックシートを採用し、安全性の向上に配慮した。

1973年8月8日、使い易さの向上と保安基準対策によるマイナーチェンジが行われた。 変更点はクラッチ踏力軽減、2系統ブレーキ、助手席シートベルトとヘッドレストの採用、フロントとリアの方向指示器をアンバー色に、フロントの車幅灯をクリアに変更された。

1973年10月29日、タイタンシリーズに低床3方開車2機種を追加した。 従来の低床1方開車の低い荷台の持つ荷役性の良さと両側面からの荷役の利便を考えて低床3方開車としたものである。

1976年3月16日、タイタン2t積ディーゼルに荷台の広い幅広ダンプを発売した。

1976年4月8日、ディーゼルトラックの新シリーズ「タイタン3700」を発売した。 2tクラスの機動力と4tクラスの動力性能を兼ね備えたものである。 3700シリーズのエンジンは、(英)パーキンス社との共同開発による新設計XC型直列4気筒3,663㏄(100ps)ディーゼルエンジンを搭載しており、低回転域で高性能を発揮した。 また、排気ブレーキ及びティルトキャブの採用、パワーステアリングの標準装備など、このクラス初の新装備を採用している。なおキャビンはタイタン標準型に対してハイキャブ仕様となる。

1976年6月10日、1.5t積ガソリン車に超低床荷台を持つ「タイタンLワイドロー」を発売した。 後輪タイヤに従来よりも3インチ小さい13インチのダブルタイヤを採用し、低床でフラットな荷台を実現している。 なお、ディーゼル車は同年6月23日に発売。

1977年5月31日、タイタンシリーズの内外装を一新し、使い易さと安全性の向上を図ったモデルチェンジを行った。

絶滅度 ★★★★☆
レア度 ★★☆☆☆
満足度 ★★★★☆
状態  現役車
撮影地 北海道
撮影日 2010年5月



Titan-2.jpg
この車両は相当使い込んだと思われ、タイヤハウスの泥除けは外れちゃっています。そういえば初代タイタンは「タフなトラックだった」と聞いたことがありますが、そんなタフな感じがよく伝わってくる写真です。

初代タイタンの初期型のテールライトは2連式の丸型で表面が凹形状でしたが、後期型になると長方形のレンズに変更されてしまい、丸型テールが好きだった私は残念で仕方ありません。

【1st Mazda Titan 2t (EVH12D/EXM12D)】
推定年式 1973-1977年
絶滅度 ★★★★☆
レア度 ★★☆☆☆
満足度 ★★★★☆
状態  現役車
撮影地 茨城県
撮影日 2009年2月

| Mazda | 21:16 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

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