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【ムック本】 昭和40年代の東京トラック風景

6月30日に”昭和40年代の東京トラック風景”というムック本が発売されるという情報を聞きました。家族とショピングモールに行った際に、さっそくモール内の本屋を探し回っても見つからないし、店員に調べてもると「入荷されていない」とのこと。
しかも子供が「宇宙の図鑑を買って!」というので、仕方なく買う羽目に・・・

諦めきれず別の本屋に行ってみたのですが、ここにもその本は売っていない・・・
3件目には自動車関係の雑誌等が比較的多い大型書店。ここなら必ず置かれているだろうと思い、行ってみるとちゃんと入荷していました。 かくして目的のムック本を無事に手にすることができました♪


TRUCKS_SP.jpg

本の内容は「スゴイ」の一言です。

主に60年代に製造された大型トラックを中心に撮影されたもので、カタログ写真と違った当時の働く姿がきっちり収まっており、レアな日野HG300やいすゞのハイキャブなど沢山掲載されていました。

逆に小型トラックや中型トラックは全く掲載されていないので、トラック全体を網羅している訳ではありませんが、約110ページ程のトラック写真集として大いに満足しました。

難しいかもしれませんが、今後もこうした昔のトラックの姿を撮影したムック本の発売を期待します。


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ゴジゴメ様の映画「紅の豚」に出ていた”セミトレーラーの車種は何か”について

映画出ていたセミトレーラーは2種類あり、ポルコが大破した愛機を修理するためにピッコロ社に持ち込んだトレーラーと、17歳の少女(設計士?)フィオが運転していたトレーラーがありました。

紅の豚_不明
まず、こちらがポルコの運転するトレーラー。
ウインドスクリーンにワイパーが付いているので1930年代の車両だと思いますが、フロントグリルのA.Iマークが何処の会社のマークなのか見当がつきません。

紅の豚_Fiat
こちらが17歳の少女設計士が運転していたFIATのトレーラー。
映画の舞台が第1次世界大戦後の世界とすると、当時のFiat社は”FIAT 621(1929-1939)”を製造していたのですが、各部の造形が多少異なるのが気になります。以前はオープンキャブ・スタイルで、621からクローズド・キャブを初採用したから、このモデルを参考に絵を描いたのかもしれませんね。

ヘッドランプの取り付けやワイパーの有無からみて、上の画像のトラックよりも多少古い型だと思われます。

508556_1701405928.jpg
拾い画像ですが、これがFiat621です。 
年式などで、多少形状が異なりますが、1929年から1939年にかけて製造されました。
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| 未分類 | 21:58 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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小型三輪トラックの販売推移

前回、三輪トラックについて記事を書きましたが、補足として小型三輪トラック(軽三輪トラックは除く)と小型四輪トラックの販売台数についてグラフを作成しました。

多少の誤差等はあるとおもいますが、大まかなイメージは掴めると思います。
分かりやすくするために年代毎に代表的な車両を一部掲載していますが、他にも積載量違い、排気量違い、荷台長違いなど沢山の種類があるので、その他は割愛しています。

三輪トラック販売推移

1950年(昭和25年)は朝鮮戦争が勃発した年ですが、この時期はマツダやダイハツ共にオートバイの前半分に荷台を組み合わせたスタイルの車両を制作していました。 
一方小型四輪トラックの方は、ダットサンやトヨタSB型が造られていたものの、まだ年産1万台弱の市場規模でした。

1953年(昭和28年)にかけて三輪トラック市場が急成長している背景には”神武景気”と呼ばれるものがあり、白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機といった”三種の神器”が家庭に普及しだし、ゆとりのある生活をしだした時代です。
三輪トラックにはウインドスクリーンやキャンパス製の屋根が付き、また荷台の拡大や積載量の増大等により車体が大型化するのもこの頃からです。

1954年(昭和29)にトヨタから小型四輪トラックのSKB型(のちにトヨエース)が登場し、幾度かの車両価格の値下げによって販売の方は軌道にのり、三輪トラック市場に割って入るようになったのです。その頃の三輪トラックはフルキャビンに覆われ、バーハンドルから丸ハンドルに変更され、小型四輪トラックに匹敵する装備をもちだしました。

1958年(昭和33年)金融引締政策によって景気が後退し“なべ底景気”の時期を迎えた。(東京オリンピックや高速道路、新幹線などの工事を行うことでその後は成長への途を歩んでいきました)
三輪トラックの方は、エンジンを空冷から水冷にしたり改良を加えるものの小型四輪トラックの勢いに敗れ、1970年代の初めまで大きなモデルチェンジを行うことなく生産がされたのでした。


Mazda_T1500_3.jpg
画像は2011ニューイヤーミーティングに参加していた「Mazda T1500」です。
いつもこうした旧車のイベントにご夫婦で参加されており、今回は荷台にミゼットDKA型を積んで参加されていました。

T1500はUA型水冷ガソリンエンジンを搭載し、1.484cc 60馬力で最高時速は97km/hだそうです。
この車両は標準型(全長4.36~4.38m)と思われますが、小型三輪トラックには全長制限が無かったので、2トン積のロングボディ車にもなると、全長が6mを超えていました。

| 未分類 | 15:59 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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【小松製作所 HD180】 日本の大型土木工事に貢献

電力会社への諸問題は、怒りどころか呆れるようになってきました。
震災後の対応は真実が見えないから何とも言えないが、損害賠償等で東電に1兆円規模の公的資金を注入してもらうは電力料金の値上げ等で、結果的には一般国民が電力会社の尻拭いをする形になってます。

なのに、給料は維持したままでボーナス支給なの? なんで? 
私が仕事をしている業界は災害被害や円高の影響で、ボーナスは2割程下がるは多額の税金が引き去りされるはで散々です。

いっぽう、原発事故の防止策も見えていない中で原発稼働に向けて推進しており、どうも裏に隠された利権からみの事情があるようで実態が見えません。

Komatsu_HD180.jpg
発電といえば、戦後に始まった大型ダム工事に発する”超大型ダンプトラック”の発展が関係します。

昭和26年に電源開発5ヵ年計画が発足し、佐久間ダムや奥只見ダム等の電源開発工事のブームが起こったのです。
安定したライフラインの確保はもちろんのこと、大型工事をきっかけに日本の土木技術を高めたり、大きな雇用を生むのを目的としていたと思います。

大型土木工事で使用する超大型ダンプトラックは、それまで米国製輸入車に依存していたのですが、この頃の日本は、朝鮮戦争と警察予備隊(現:自衛隊)の発足によって “特需ブーム”を呼び、国内自動車産業の基礎が確立されてきた時代でした。

電源開発工事のブームによって昭和29年に日野ZG10型ダンプトラックが登場したのですが、国産超大型ダンプトラックの魅力は何と言っても車両価格の安さで、輸入車の価格の約半分だったと言われています。超大型ダンプの活用範囲はダム建設以外に高速道路や干拓事業方面へと広がり、日本のインフラ整備に大きく活躍したのでした。

【Komatsu HD180】
画像は山梨県で目撃した小松製作所(現:コマツ)HD180(18トン積)のようです。
あまり詳しくありませんが、1969年頃にHD150の後継者としてデビューしたようで、エンジンは(米)カミング社製のエンジンを搭載していると思われます。

まだこの時点ではボンネットが付いたスタイルで、キャビンもアシスタント側まで覆っていますね。また外板パネルはプレス型ではなく、ベンド行程で折り曲げた感じの平面スタイルなので、路線用のトラックとは全く違った印象です。

気になる年式ですが、一枚式ウインドウと旧ロゴマークから1980年代の車両ではないかと推測します。

| 未分類 | 22:53 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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【マツダ T1500/T2000】 三輪トラックの歴史

本日は”三輪トラック”の話題を取り上げたいと思います。

1980年前後までは、実家近くの肥料屋さんが乗っているダイハツの三輪トラックをたまに見かけていたのですが、
当時、私を含めた小学生たちは「うわーっ三輪トラック!」と叫び、時代の違うトラックの登場に少し小馬鹿にした感じでした。
(ちなみにその肥料屋さんは今も三輪トラックを保有しているとか)

私たち(団塊ジュニア)世代にとっては三輪トラックは過去の乗り物だったのです。

Mazda_T1500_1.jpg
【Mazda T1500】
静岡県の旧道を走っていると、駐車場の片隅に置かれた三輪トラックを発見。
ボディの所々に錆色が出ていて良い感じの状態になっていますが、きちんとレストアを行えば路上復帰も可能に感じます。

マツダのクルマづくりの原点は、1931年に発売した3輪トラック「マツダ号DA型」とともにスタートした訳ですが、このT1500/T2000シリーズが最終モデルとなり1974年頃まで生産されたのでした。

Mazda_T1500_2.jpg
【Mazda T2000】
こちらの車両は長野県で見かけたT2000型です。
T1500型の1500㏄ 1トン積み対して、T2000型は2000㏄ 2トン積みになります。
フロントフォーク形状はハーレーダビッドソンのスプリンガー式みたいです。
ルーフはキャンバスで覆われていますが、これは室内のこもり音や振動を解消するためなのかな。


【三輪トラックの歴史】

第2次世界大戦以前の3輪自動車はほとんどが貨物運搬用として使われ、各社の名称は3輪車、自動三輪車、オート三輪車、三輪自動車などとはまちまちで、「バタンコ」とか「バタバタ」などとも俗称されていたが、昭和25年にマツダが呼び出した「三輪トラック」という呼び名が一般化されたのでした。

終戦後、3輪トラック業界へ新規参入した企業は10社を数えたものの、昭和24年のドッジ不況下に数社が離脱。当時の三輪トラックはいずれも大型オートバイの後輪を2軸とし、そこに荷箱を置いた形式のものであり、バーハンドル式、サドル式運転席という運転姿勢で運転席をカバーするキャビンは無く、座席も風雨にさらされたままの戦前からのスタイルを引き継いでいたのです。

本来、三輪トラックのメリットは操向輪が1輪であるため、小回りが利くことや、予め過荷重を想定してボディを頑丈に造られている点など、四輪トラックよりも優れた面で支持されていたのであった。

昭和25年以降になると、車両寸法に制限がない三輪トラックは市場からの強い要請に沿って大型化の道を歩み続け、積載量の増大やロングボディの追加等の積載性向上と同時に動力性能の向上も積極的に推進されたのでした。

また大型化につれて装備も豪華になり、風防窓の取り付け、運転台の覆い、冷却性能の向上などと3輪トラックのイメージを大きく変えることになったのです。それは3輪トラックが性能的にも価格的にも著しく小型四輪トラックに接近し、両者の競合関係が次第に強まることを意味したのです。

昭和31年頃から日本におけるモータリゼーションの開幕始まり、依然としてトラックが自動車販売のウエイトを大きく占めていた。これまで圧倒的な生産量を占めていた三輪トラックは後退し始め、これに代わり小型四輪トラックが登場(トヨエース)して大きく伸び始め、トラック生産の地位は、小型四輪によって交代されるに至ったのです。

その後も3輪トラックはデラックス化を図っていくが、これに対し小型四輪トラック(トヨエースやキャブライト)の方は逆に簡素化による低価格化を押し進め、昭和30年頃から次第に価格の引き下げを実施し、3輪トラックとの価格差を著しく縮小していった。

結果的に三輪トラックの進化は限界に突き当たると同時に価格競争力を失う形になり、トラック市場を小型四輪トラックに奪われたのです。

| Mazda | 22:28 | comments:12 | trackbacks:0 | TOP↑

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【光岡ビュート】 高田号がそこにいた

【商用車ネタではありません・・・】

2011年8月、都内のスーパーで怪しげな札幌ナンバーの光岡ビュート(初代)を発見。

わざとウェザリング(風化させた塗装)させたボディが変なオーラを出していたが、最近のカスタム車の一部でボンネットだけを錆に覆わせる手法が確立されているので、そうしたカスタムの一つだと思っていました。

Tantei_BAR_1.jpg
初代ビュートは、2代目マーチをベースにしたコンプリート車両で、フロント&リア周をジャガーMk2風に改造した一種のパイクカーです。

Tantei_BAR_2.jpg
ちょっと大げさすぎるウェザリングに違和感を感じたものの、携帯のカメラで一応撮影。


先日の休日に買い物に行った際、DVDを物色中にこのビュートの正体が分かりました。

こいつはなんと”映画出演車”だったのでした!

映画のタイトルは 「探偵はBARにいる」

この車の正体が分かり、胸の中にあったモヤモヤ感が一気になくなってスッキリしました。

Tantei_BAR_3.jpg
2011年の秋に公開された映画で、札幌のススキノで私立探偵をやっている大泉洋と、その相棒兼運転手の高田(松田龍平)が乗っていた車だったのでした。劇中の車の名前は「高田号」、肝心なシーンで調子を悪くする性格のようです。

ルパン三世の愛車であるFiat 500を多少意識したような車両チョイスですね。

機会があればDVDを見てみようかな。

| 未分類 | 20:17 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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【初代 ハイラックス】 日野の血統を受け継ぐピックアップ

国内においての純粋なピックアップ販売は終了しており、2012年3月2日には輸出用のピックアップの生産も終了。とうとう日本におけるピックアップ文化が消えてしまいました。

私の親父も昔はピックアップで仕事に出かけたり、近所の用足しに使っていたので馴染み深い商用車の一つなので、年々現役車両が少なくなるという現実に寂しさを感じます。

ピックアップといえば、過去に貴重な現役車両を発見しました。

Toyota_Hilux_1.jpg
2010年10月、山梨県内を移動中に遠くの方からピックアップの姿が確認。

「ハイラックスの廃車体だろうな」と思い込み、撮影を見送ろうとしていたところ・・・

ビックリ仰天、まさかの現役車両があぜ道に駐車していたのでした。

Toyota_Hilux_2.jpg
この初代ハイラックスの持ち主はトラクターに乗って畑を耕していたのですが、突然の訪問にも関わらず快く対応してくださり、クルマの事について教えてくださいました。

「もともと八百屋さんが仕事で使っていた車を譲り受け、今は畑仕事に使ったり、近所くらいしか乗らない」

「ボディやドア下の錆穴を補修したいと思っている、錆はあるけど頑丈だよ」

と話していたのが印象的です。

Toyota_Hilux_3.jpg
この手のピックアップといえば、ストリート系カスタムのベースにされるのですが、本来の使用用途に沿った”自然体なスタイル”が一番カッコよく感じます。

フェンダーから突き出たラジオアンテナ、鉄バンパーに取り付けられたコーナーポールとフォグランプ、武骨な鉄ホイールなどの小物も良い感じですね。

Toyota_Hilux_5.jpg
ステアリングコラムは細いし、エアバックは無いし、メーター等はアナログ表示だし、今のクルマに比べると断然装備は劣るものの、シンプルかつ個々に雰囲気があるのでオシャレに感じます。

ステアリングホイルの内側のホーンリングもいい味出していますね。

Toyota_Hilux_4.jpg

1960年代の後半になると、経済の成長とともにトラックの需要も多様化方向にシフトし、トラックとしての資格を十分備えつつ乗用車レベルの快適性をもった車が好まれるようになりました。

そうした背景の中でトヨタは昭和43年3月、1トン積みボンネットトラックを強化するため、ライトスタウトとブリスカを統合し、新たにハイラックスを発表。そこには日野ブリスカで蓄積したピックアップのノウハウが活かされたのでした。

ハイラックスには斬新なスタイルと、小型トラックとしては初めて採用された曲面ガラスを採用した他、居住性を考慮した広い室内スペースなど、乗用車イメージを強く打ち出しており、エンジンは定評のある1500cc 2R型を搭載。

日野自動車で組み立てられたハイラックスは、国内のみならず、アメリカ、中近東を中心に世界各国へと輸出され、トヨタの販売の基礎を築いたのでした。


【Toyota Hilux】
推定製造期間 1968-1972年


1967年5月、トヨタと日野の技術的な面での提携効果の第一弾として、トヨタ・ブリスカ(GY10型)を発売。
1968年3月、トヨタ ハイラックスを発売。エンジンは2R型(1500cc)を搭載。
1969年4月、ロングボディー車の追加。
1971年2月、エンジンを1600cc 12R型に変更し、幾多の改良を実施。
1972年5月、2代目ハイラックスに切り替え。

絶滅度 ★★★★☆
レア度 ★★☆☆☆
満足度 ★★★★★
状態  現役車
撮影地 山梨県
撮影日 2010年12月



| Toyota | 23:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【インド版 オート三輪】 イタリアがルーツの乗り物

国土交通省は軽自動車より小さい1~2人乗りの「超小型車」の普及に向け、安全基準や技術仕様を定めた認定制度を今年度中につくると発表がありました。 前々から言われてきていたこの超小型車の規格、表向きには高齢者や観光客が近距離を移動する車として使うことを想定し、使い勝手が良く環境に優しい乗り物というふれ込みらしい。

一方、国内の新車販売は、普通車はどんどん減少し軽自動車は伸び続けています。
国民の生活が苦しい中、税金等が安く維持費の負担が軽い軽がより注目され、「軽で十分」という考え方に変化してきたのでしょう。

このことによって困るのは、自動車関連の税収が少なくなる”国税庁”
以前から軽自動車税の恩典を廃止して税収を増やすという動きがあったので、この超小型車に税金の恩典を付けて、軽自動車の恩典を廃止するという事態にならなければよいが・・・


さて、この超小型車、

アジア諸国ではこれに近い乗り物が今でも沢山走っています。

Bajaj_RE_CNG.jpg
有名なのはインド全土で普及している”オートリキシャ(auto-rickshaw)”
この車両は2輪メーカーのBajajが生産している”Bajaj RE ”のタクシーで、2スト、4スト、CNG(天然ガス)などのエンジン仕様があります。(首都デリーなどでは環境問題によってCNGのみの制限)

オートリキシャは1961年、イタリアのピアジオ社(PIAGGIO)がApe D型をベースにBAJAJにライセンス生産させたものが始まりで、1971年までPIAGGIOブランドでライセンス生産された後、BAJAJブランドとして今も生産され続けているのです。

そのスぺックは、リアエンジン、2スト単気筒 排気量145.5cc、4スト単気筒 173.5cc、全長2625mm、全幅1300mm、全高1710mm程のサイズを有し、庶民の生活に根付いた乗り物になっています。

Bajaj_RE_Panelvan.jpg
こちらは”Bajaj RE”の派生車のパネルバン仕様。
スーパーへの商品搬入かゴミ回収と思われ、積載量を増やすために、ルーフキャリアを装着していますね。

よく見ると、上の車両とスイングアームの長さが違っており、おそらく荷台を架装するためにはリア搭載のエンジンが邪魔になるので、シート下にエンジンを配置し、スイングアーム内にチェーンを通しているのでしょう。

Bajaj_GC.jpg
こちらは”Bajaj GC1000”と呼ばれるREシリーズのお兄さん的な乗り物です。
エンジンは4スト単気筒 416.6ccで、全長2960mm、全幅1478mm、全高2070mm、最大積載量425㎏。
ヘッドランプが2灯式になるなど、車両サイズの大型化と共に装備の方も豪華になっています。

Mahindra_Champion.jpg
こちらはジープタイプの四輪車を製造しているマヒンドラ社(Mahindra)のChampion。
Bajajのオート3輪車に比べると少数ではありますが、自動車メーカーだけあって、造りも自動車を意識してますね。まず目につくのはバンパーで、小ぶりなドアも取り付けられています。また雨の時にはルーフにロールアップされたスクリーンを降ろして完全防水(?)になるはずです。


国土交通省が進めている「超小型車規格」が導入されると、このような貨物車も登場するのでしょうか?

| Indian trucks | 15:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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