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【日野 ZM】 火の国の日野

今年も残すところ1ヶ月となってきました。
来週早々に会社の忘年会が行われるのですが、時が経つのがものすごく早いですね。
画像は2011年末に熊本県で撮影した”日野ZMダンプ”ですが、この日からあっという間に約1年が経過しようとしています。

昨年(2011年)は東日本で震災による被災、今年の7月には西日本の豪雨による水害など、日本各地で災害が発生しています。このZMダンプは今年の豪雨がひどかった地域に近かったので、その後の生存について気になるところです。

Hino_ZM_Kumamoto.jpg
この日野ZMの助手席側ドアには「ジャストウインド」と呼ばれる安全窓があることから、1980年から1981年にかけての最終型だと思われ、年式が正しければ昭和54年排ガス規制に適合させているモデルです。

爽やかなブルーメタリックのボディ色と、赤いシャシーの組み合わせは”お見事”と言うべきか、いい感じに仕上がっていますね。

バンパーはバス用を流用していると思われ、違和感無くZMのキャビンにマッチングしているように感じます。またフロントバイザーの形状はあまり見ないルーフサイドまで覆うタイプですが、エッジの効いたZMデザインとの相性もよく、シンプルでありながら、ZMの良さを引き出している車体でした。

【Hino ZM 6×4 Dump】
製造期間 1980-1981年

1969年、日野の大型トラックシリーズをフルモデルチェンジ。
キャビンデザインは中型KLと統一。
日本初の1枚ガラスフロントウインドゥと3連ワイパーを装備。
1971年、マイナーチェンジを実施し「赤いエンジンシリーズ」の直噴エンジンを投入。
キャビンの搭載位置の変更および、中期型グリルを採用。
1975年、ゆとりのビックワン赤いエンジンを搭載。
外観では2段グリルやバンパー等が変更される。
1977年、快適性を向上させた「悠々キャビン」を搭載。
メーターパネルをラウンド化する。
1979年、昭和54年度 排ガス規制適合車の発売。
1980年、助手席側のドアに安全窓が入る。
1981年、ドルフィンシリーズに切り替わる。

絶滅度 ★★★☆☆
レア度 ★☆☆☆☆
満足度 ★★★★☆
状態  現役車
撮影地 熊本県
撮影日 2011年12月
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| Hino | 00:40 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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【トヨダトラック G1型】 米国トラックを参考に設計

今週は名古屋に出張していました。

名古屋周辺はトヨタの城下町なので街中を走る車はトヨタ車が多いのは当然ですが、道幅も広く車社会に適応した街に整備されているが特徴だと言えます。

今回はトヨタグループが運営する産業技術記念館(別名:トヨタテクノミュージアム)に仕事の合間を使って訪れてみました。ここの博物館は糸を紡ぐ、布を織る技術を展示している「繊維機械館」と、自動車の構造と開発・生産技術を展示している「自動車館」と異なる2つのテーマを展示しているのですが、「何でトヨタが繊維機械を展示しているの?」と思う方もいらっしゃることでしょう。

元々トヨタ自動車は、豊田自動織機製作所内に開設された自動車部が、昭和12年に独立して誕生した自動車メーカーなのです。

Technology_Museum.jpg
トラックファンにとって「産業技術記念館」の見所といえば、「トヨエースSKB型」と「トヨダトラックG1型」の2台ですね。

今回は「トヨダトラックG1型」に焦点を当ててリポートいたします。

Toyota_G1_1.jpg
トヨダトラックG1型(複製)は豊田自動織機製作所が昭和10年に開発した初のトラック。
同年、閣議で「自動車製造事業法要綱」が決定され、豊田自動織機製作所は、事業法の交布までに自動車の生産を軌道にのせて、実績をもって事業法の適格審査をパスする方針を立てたことにより、先に開発していたA1型乗用車よりも製作が容易なトラックの開発を優先したのです。

豊田自動織機製作所はトラック開発の経験が無く、購入した1934年製フォードトラックを模倣しながらシャシー設計をスタート。短期開発という制限のもと、工場内の事務所2階に寝泊りしながらの開発が進められたのでした。

フェンダーの試作においては型を作る時間がなかったので、土間の比較的固い部分に穴を掘って、その穴を型の代わりにして叩きつけたりして作った等の逸話があります。

Toyota_G1_3.jpg
トヨダトラックG1型は当時、抜群の信頼性をもっていたフォードとシボレーの良いとこ取りをした模倣トラックで、エンジン部品などはそのままシボレーの部品が流用できるようになっていました。

・エンジンは乗用車と同様33年型シボレーを採用。
・フレームは丈夫なフォード式を採用。
・フロント・アクスルはシボレー式、リアは日本の道路を考慮してフォードの全浮動式。
・寸法はインチ制を採用。

スタイルやボディ構造はクライスラー社の1934年型「デ・ソート」を参考とした流線型のスタイルを採用。当時は時期尚早との反対意見もあったが、豊田喜一郎は画期的な流線型スタイルに日本特有の美的感覚を取り入れた車造りを決断。「より東洋的で高尚な趣味を表現したい」という考えは、ラジエーターグリルのデザインに生かされ、グリル上方の両隅を鋭くとがらせたデザインは、“能”の般若面にヒントを得たデザインを採用しました。
人々はこれを「ビリケン・マスク」と呼んでいたそうです。

キャビンは木製骨格に鉄板で覆った造りなので、内装は木目がそのまま使われていますね。超小型のワイパーやミラーは右側の片側装備と言う具合に簡素化されているものの、フロントグリルやサイドダクト、ボンネット上のマスコットにはお金を掛けた贅沢な造りになっていました。

Toyota_G1_2.jpg
昭和10年(1935)8月、試作トラックが完成し、”G1型トラック”と名付けられた。

昭和10年9月、G1型トラックの総合的な運行試験が実施され、トラックは6日間で1260キロを走破する走行テストを行い、燃料消費量や潤滑油補給量の測定など各種の技術データの収集を行う。(テスト中には次々と故障が発生し、その都度修理を繰り返したそうです)

昭和10年11月、東京でトヨダG1型トラックを発表。
販売価格は(東京渡し)フォード、シボレーより200円安く、トラック完成車が3200円、シャシーが2900円に設定。 この価格は、当時としては原価を大きく割る赤字価格であったが、将来量産した場合には、十分に採算がとれるという見通しのもとに「とにかく、現実に売れる価格で市場に出すことが先決だ」とする考えに沿った戦略的価格に設定したのです。

しかし、設計/製造ともに未熟であった上に、当時の鋼材の質の悪さによりG1型は故障が続出、生産台数は379台だけの台数にとどまったのでした。

昭和11年9月、日産自動車と共に「自動車製造事業法」の許可会社に指定される。

昭和11年9月、G1型トラックはGA型に改良され、大量生産体制で生産された。

Toyota_G1_4.jpg
搭載されているG型エンジンは 水冷6気筒OHV 3.389cc(65ps)、乗車定員は2名、最大積載量は1.5トン。
改良型のGA型は民間用だけでなく、軍用車として戦地にも送られたそうです。

架装されたトラック荷台も、そのほとんどが木製ですね。
1950年代頃までの自動車ボディは、スチール(鋼鉄)製の車体の上に木材主体のキャビンを架装する「木骨ボディ構造」が一般的で、トヨタとしては1949年に「オールスチールボディ」を初採用したそうです。

テールランプは1灯式だったんですね、知らなかったです。

Toyota_G1_5.jpg
前後輪にはホウキのようなものが取り付けられています。
1930年代の円太郎バスやトラックなどにも多くみられたのですが、これは舗装されていない道路の水たまりを走行する際、歩行者に泥水をかけないようにと配慮されたものでした。

日本人特有の”他者への気配り”からきたものでしょうね。

| Toyota | 10:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【三菱ふそう MK116F】 レジャー客輸送用のモノコックバス!

先日、紅葉しはじめた群馬県の山岳地域を走っていると、ある温泉地に駐車している自家用中型モノコックバスが居ました。

昨今、モノコックバスの生存は緑ナンバー営業車は絶滅しつつありますが、白ナンバーの自家用車はこうした温泉地などの送迎用としてたまに見かけることがあります。

Fuso_MK116F_1.jpg
ホディ形状から、以前栃木県で見かけたMK115Fかな?
三菱ふそうMK115Fと最初は思ったものの、MK115Fに対して昭和54年排出ガス規制(K-)適合したモデル、K-MK116F(1979-1981)のようです。(ボディ架装は呉羽)

MK115FとMK116Fの見分け方として、一番わかりやすいのがウインカー横のエアインテークの形状ではないでしょうか。MK115Fは弁当箱の蓋のようなものを開閉するのに対し、MK116Fはエアコンのルーバーのようなタイプになっています。

Fuso_MK116F_2.jpg
使用用途を書くと所在地が判明するので控えておきますが、自然を楽しむレジャースポットまでお客様を運ぶ目的で導入されているようです。ナンバーは3ケタ化された後に取得したようで、中古車を登録したようです。

小型のリヤテールランプは私の世代にとっては懐かしいです。
リヤに搭載されているエンジンは6D15型(直噴6気筒6.919cc、170ps)で、中型トラックの三菱ふそうFKにも一部グレードに同じエンジンが搭載されています。

Fuso_MK116F_3.jpg
呉羽製の中型バスボディとしては最後のモノコック構造。
古臭く感じたリベット処理も、今では”やさしい雰囲気もあって”いい感じです。

三菱ふそうバスマーク下には環境/自然保護をイメージしたマークが付いています。排ガス的には自然に対して良くないのかもしれませんが、モノを大切にする点としては立派な環境保護ですね。


【Mitsubishi FUSO MK116F】
推定製造期間 1979-1981年頃

B622B/B623Bの短尺ボディ車の後継として1976年にMKシリーズの2車種が登場。
1979年には昭和54年排ガス規制をクリアしたエンジンを搭載する”K-MK116系”にモデルチェンジし、1981年のキュービックスタイルのスケルトンボディが登場するまでこのスタイルを踏襲する車体でした。

絶滅度 ★★★☆☆
レア度 ★☆☆☆☆
満足度 ★★★☆☆
状態  現役車
撮影地 群馬県
撮影日 2012年11月

| Medium-size Buses | 14:12 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

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【トヨタ ハイラックス】 消防団の生き残り車両

この数ヶ月、旧車の生体調査に出かける事も無く平穏な日々を過ごしていましたが、気分転換と大物旧車の収穫の期待し、未開の地である新潟県まで足を延ばすことに。

しかし、今回はこれと言った大物の収穫はなく、見つかるような雰囲気もない。

出かけた場所が悪かったのかな? と後悔していると・・・

Hilux_RN40_1.jpg
「ジャジャーン!」
何と製造されてから30年以上も経つ”ハイラックス消防車両の親子”が道路脇に潜んでいました。(この3台はスタッドレスタイヤに交換するために駐車していたようです)

Hilux_RN40_2.jpg
手前の車両は”3代目ハイラックス”の前期型で、シャシー及びボディ形状を確認した結果、2WDロングボディ・デラックスのRN40型(1トン積み)と思われます。

前期型は1978年から1981年にかけて製造され、ガソリンエンジンであれば12R型(4気筒OHV 1.587ℓ 80ps)が搭載されているはずです。

この型のハイラックスも相当数が減ってきているし、消防用に架装された車両は非常に珍しいです。

Hilux_RN40_3.jpg
消防団が所有しているこの車両は消防用装備は最小限で、荷台の中央には可搬式のトーハツ製小型消防ポンプが鎮座しており、両脇には消防団員が4人程座れそうな対面式ベンチシートが取り付けられていました。

Hilux_RN25_1.jpg
奥側のハイラックスは2代目後期型で、2WDのロングボディDXのRN25型のようです。
(エンジンは前途の12R型を搭載)

1975年から1978年にかけて製造されたもので、対米輸出にも視野にいれて開発されてはいるものの、全幅は1580mmしかなく、今時のスモールカー(FitやVitz)などよりも狭いです。

ルーフ上のパトライト、スピーカー、サイレンなどの形状がノスタルジックでいい感じ。

Hilux_RN25_2.jpg
道路凍結防止剤の影響なのでしょうか、フロントとリヤのホイール周辺には腐食が目立ってきており、さすがに経年による痛みがみられました。

幌の横に掛けられた四脚脚立?梯子?もレトロですね。
荷台には小型ポンプと対面式ベンチシートを備えていました。

Hilux_RN25_4.jpg
2代目ハイラックスの消防車は、2009年2月に栃木県でも確認しております。
遠くから見ただけなので良く確認できていませんが、荷台の横にはステップが設置されており、鳥居の後部に3人程が座れるベンチシートを備えているようです。

今でも現役であれば嬉しいのですが・・・

| Toyota | 22:12 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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2012 クラシックカーフェスティバルin桐生

この時期は学園祭や各方面のお祭り等が開催され、旧車のイベントも活発になるのもこの頃です。

先日11月4日(日)には群馬大構内で「2012 クラシックカーフェスティバルin桐生」が開催されました。ここの特徴は海外の古い高級乗用車やスポーツ車が多く集まる反面、日本製の大衆車や商用車の展示は少ない印象。

移動距離の多さや渋滞の苦痛を考えると、直前まで見に行くか行かないかで悩んでいましたが、”行かなかったことの後悔”を考えて、見に行ってきました。

1964_DATSUN_320.jpg
大学構内の展示車両は一通り見た後は、10:00からスタートする”クラシックカーラリー”の参加車両を見るために市街地の方へ移動しました。このラリーは桐生市内や近郊の名所を巡り、参加車両の平均タイムに近い車両が優勝するらしく、速さを競う競技ではありません。

唯一、商用車でエントリーしていたのは、このイベントの常連 Datsun 320型(1964年製)ガソリン1.2Lエンジン搭載で積載量は1t積み。

魚を運んで市場と魚屋を往復していたそうで、今も現役であれば約半世紀(48年)も働き続けていることになります。お孫さん(?)と一緒に乗っている姿が微笑ましかったです。

Mazda_Rotary_Pikup_1.jpg
大学からちょっと離れた位置にある駐車場には、スタウトやハイラックスなどのピックアップを並べた区画がありました。どれも貴重な車両ではありましたが、その中でも強烈な個性を放っていたのはこの車両。

Mazda Rotary Pickup

この車について知っている方は ”かなりマニア”か”マツダファン”ではないでしょうか。

ロータリーピックアップは、初代マツダ プロシードの北米輸出専用として設定されたモデルで”13B型ロータリーエンジン”を搭載したピックアップなのです。

1973年から1977年まで約1万6000台を生産されたそうだが、北米ピックアップ市場の規模に対して、販売台数は極少だったみたいですね。

Mazda_Rotary_Pikup_2.jpg
私の親父が初代プロシード(後期型)に乗っていたこともあり”懐かしい気持ち”と共に、初めて見たロータリーピックの感激でいっぱいでした。

フロントグリル内のマツダエンブレムはロータリーエンジンをイメージした”おむすび型”になっており、ベースのプロシードやFordへのOEMであるクーリエとは違った表情を持っています。

ナンバープレートから推測すると、1974年製のようです。

Mazda_Rotary_Pikup_3.jpg
北米の灯火基準を対応したためか、リヤテールランプはプロシードに比べると大型2連丸テールに変更されています。マツダ小型トラックの初代タイタン(前期型)みたいな形状ですね。

私の親父はマツダ サバンナ(輸出名:RX3)にも乗っていましたが、燃費が悪い(3km/ℓ)と言っており、晴れの舞台以外はピックアップのプロシードを普段の足に使っていました。

北米ではガソリン価格が安いので燃費の心配はありませんが(他にも燃費の悪い車が沢山ある)、燃費の悪さがロータリーの欠点ですね。

FORD_COE_1.jpg
群馬大からちょっと離れた場所の桐生市有鄰館では”桐生ファッションウィーク”の会場になっており、こちらには1930年代の”Ford Model B”等のカスタム車両(Hot Rod)を集めて展示していました。

展示車両には画像の”1939年製 Ford C.O.E”も並べられており(C.O.E:Cabin Over Engine)、思い掛けない収穫に満足です。フロントグリル形状が楕円形なのは前期型で1938年~1941年製、後期型のグリルは四角形で両端上部が吊り上ったタイプになり、1941年~1947年頃まで製造されていました。

今でも北米ではFord C.O.Eが人気で、Hot Rod系のカスタム素材にされているとか。

FORD_COE_2.jpg
Ford C.O.Eを日本に輸入し、ナンバーを取得している人がいるもんですね。
この車両の足回りはアルミホイルを履き、アルミタンクを装着されていました。

1938_Ford_COE_20121106110146.jpg
参考までにノーマルのFord C.O.Eはこんな感じです。
(ネットで拾ったものです・・・)

| Event report | 11:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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【番外編】 負けるもんか

経済低迷、円高、デフレ、日本の経済をこれまで引っ張ってきた製造業は苦しんでいます。大手電機メーカーの業績が赤字というニュースが配信され、自動車業界も国内の年間販売台数が減少傾向が継続している状況です。

国内の経済を潤すためには、国産品を購入する、国内旅行をする等、国内でお金を回すことが重要ですが、そのためには、海外製の低価格商品に負けないような「魅力ある商品」や「サービス」を生み出さないといけません。

「負けるもんか」

この言葉はHonda創業者が反骨心について唱えたものを現代風に言い換えたもので、TVCMをOAした後、Youtubeなどで話題になり、2012年度テレビCM部門の最高位「総務大臣賞/ACCグランプリ」を受賞しました。
http://www.youtube.com/watch?v=IQKfQIYzNbY

製造業で働く皆さん、色々と苦しいでしょうが 負けないでください!!

N_ONE_1.jpg
2012年11月1日、六本木ヒルズのテレビ朝日UMUで新型軽自動車の発表会をやっていました。

一般的に新車発表会に招待される人は、ジャーナリスト、出版社、マスコミ、販社、サプライヤーなどが主なのですが、この新車発表会ではブログやSNSで拡散させる目的で有名なブロガーを招待していたのに驚きです。

N_ONE_2.jpg
発表されたのは「N ONE」というHondaのNシリーズ第3弾の軽自動車。
Apple社のi-phone、i-pad、i-podが「i」でブランドイメージを構築したように、Hondaの軽自動車も「N」でイメージを統一させて、ブランド認知度を高めるような手法をとっています。

N_ONE_3.jpg
画像は「N-ONE Premium」で、ノーマルに対して付加価値を付けたグレード。

「N」シリーズ+軽自動車の原点に戻るという意味で「ONE」を付けた名称。
軽の原点というのはHondaが45年前の1967年に発売した「N360」の事を指しており、室内を広く、メカを小さくという意味での「MM思想」と「キビキビ走る動力性能」と「手頃な価格」をキーとして開発されているそうだ。
それと、軽自動車の不安要素である「安全性」については、軽自動車初の「エマージェンシー・ストップ・シグナル」を標準装備し、側突事故で頭部を守る「サイドカーテンエアバック」を上級グレードに標準装備、全てのグレードにオプション設定しているらしい。

N_ONE_4.jpg
燃費の面では「Mira es」や「Alto Eco」のように走りを犠牲にして燃費に特化することはせず、街中でキビキビ走ることを優先しつつ、燃費性能を可能な限り高めたという。

ボディーカラーは全11色用意するほか、2トーンカラーも選べるらしいし、オプションで個性部品も数多く発売されるという力の入れ具合。ボディカラーは濃いめの色の方が質感が高く感じました。

”Made in Suzuka”

日本で造った日本のための自動車、果たしてN-ONEは売れるのでしょうか?

N_ONE_5.jpg
会場には1967年に発売された「N360」も応援で駆けつけており、中高年のオジサンが懐かしそうな視線で見入っていました。
N360は発売後に爆発的な人気を誇ったのですが、あまりの高性能なエンジンであったために不幸な事故の報告も多く、当時のホンダの社長であった本田宗一郎さんは「殺人罪」で告訴されたほどです。(裁判ではホンダが勝訴)
この影響で発売以来3年間国内販売首位を保ってきたN360は販売不振となり、1972年には販売終了となってしまいました・・・

モノ造りには、製造責任、あらゆるリスクが多いのですが、モノが形になって出来る喜び、お客様に喜んで使ってもらう喜びがあると思います。

頑張れ! 日本の製造業!

| Event report | 23:20 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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