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【Hino Ranger KM】 これが最初のレンジャーなのだ 

これまで昭和時代に生産された古い商用車を撮影し、その数4,000台前後(小型~大型トラック)に達しておりますが、1960年代の中型~大型の車両となると、もはや国内で生存している個体自体が珍らしいため発見することが困難になっています。

そうした状況の中で、1963年に発表、翌年に発売された初代日野レンジャーKMも幻のトラックと言えるでしょう。今でこそ日野レンジャーといえば、中型トラックを代表するブランドに成長していますが、初代レンジャーについては意外と知られていないし、ネットなどにも情報が出ていません。

ここは身を犠牲にし、決して安くはない当時の初代レンジャーのカタログを入手!

1965_Hino_Ranger_KM_1.jpg
カタログの表紙は、初代レンジャー前期型が首都高(銀座付近?)を走っています。

1960年(昭和35年)頃から、都市部での交通渋滞が激しくなるとともに、大都市への大型車乗り入れ規制が実地され、同時に建設省が車幅制限を提案するなど、トラック輸送のありかたが大きく変換することになりました。

また市場では三菱ジュピターが2.5t~3.5tのラインナップで大型車(8t~10t)と小型車(2t)の間を埋める隙間商品として大ヒットしていた状況でした。

こうした中で日野は3.5t積のトラックを開発し、1963年の第10回 東京モータ-ショーに出品。この時に新製品の名称を公募し、ペットネームが「Ranger」に決定したのです。1964年7月の発売に当たっては、オーストラリアでの実車耐久テストを行うことで「壊れない経済的なトラック」という高い評価をえるようになったそうです。

1965_Hino_Ranger_KM_2.jpg
初代レンジャーは丸みを帯びたデザインで、可愛らしいという言葉がピッタリです。

ドアは後ろヒンジの前開き式ですが、1969年のフルモデルチェンジでは安全性のために前ヒンジに変更しています。この頃はサイドバンパーやリヤバンパーなどの装着義務はなく、室内側でもシートベルトやヘッドレストも付いていないのが当たり前でした。

1965_Hino_Ranger_KM_4.jpg
乗車定員は2名のキャブはセミチルト式とし、車両整備用の脱着式エンジンフードを開けると、新開発のDM100型 6気筒水冷ディーゼル 4,313cc(90ps)が収まる。同時にシンクロメッシュ式のトランスミッションによって操作も楽に出来ていました。

車種構成を整理すると
・KM300型 ⇒ 3.5t積 標準車(W/B:3,300)
・KM320D型 ⇒ 3.5t積 ショートホイールベース車(W/B:2,650)
・KM340型 ⇒ 3.5t積 ロングホイールベース長尺車(W/B:3,800)

1965_Hino_Ranger_KM_3.jpg
この当時、他社は4t積クラスに移行していたためレンジャーKM型型の販売は低迷。
日野はあわてて1966年頃から普通免許で運転できる最大の積載量を誇る”レンジャーKL型”の開発を進め、3.5t積のレンジャーKM型は次第に埋没していったのでした。


【Hino Ranger KM 3.5t積(前期型)】
推定年式 1964-1966年


【1963年10月】レンジャーKM300を発表。経済発展と共にトラックは6t、8t、10t積と大型化されていくが、4t以下は2t車しかなく、4t車と2t車の隙間を埋めるべく登場した。
【1964年7月】レンジャーKM300型(標準)とKM320D型(ダンプ)が発売され、同年の暮れに長尺車のKM340型が追加された。
【1966年頃】フロント周辺のデザイン変更とともに乗車定員が2名→3名となる。
【1967年11月】KM300シリーズのマイナーチェンジを行い、約40ヵ所に及ぶ変更とエンジンは90馬力から100馬力アップ。大型ワイパーとウインドウォッシャー等を採用するなど、悪天候時での安全性を高めた。

【1969年1月】レンジャーKL型(4~4.5t積)の発売後もレンジャーKM300シリーズ(3.5~4t積)を併売。
【1969年11月】レンジャーKM300シリーズのモデルチェンジを行う。キャブの全長を55mm延長して居住性を高めるとともに、ドアの開閉を後ろ開きにしたり、強化ガラス、ソフトパッドを採用したり安全性に考慮した。またグリルやウインカーは日野製キャブ統一デザインに変更された。
【1971年4月】レンジャーKM300シリーズのホイールベースを延長するなどの改良を行い、同時にKQシリーズを発売。
【1978年4月】レンジャーKM300シリーズのモデルチェンジを行い、KM500シリーズとして発売。エンジンはDQ100型(110ps)を搭載して動力性能のアップを図った。また、ハイバックシートやサイドミラーの大型化などの安全性を高めている。

【1979年頃】昭和54年排ガス規制に適合する形でK-KM系に改良、ネーミングはレンジャー3Mに変更される。
【1983年頃】昭和58年排ガス規制に対応するP-KM型が発売。グリルにはシルバーの縁取りと、RANGER 3Mのエンブレムが取り付けられた。
【1984年】レンジャーKM/3Mシリーズを20年ぶりにモデルチェンジを行い、ベットレスのデーキャブレンジャー3B型4C型に切り替わる。
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| Hino | 13:11 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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【Ural 375】 旧ソビエト連邦時代の6×6トラック

現在、ソチ冬季オリンピックが開催されていますが、連日のメダル獲得など日本人選手の頑張りに”パワー”を頂いております。 これまでの夏冬のオリンピックといえば、女性選手中心に話題になっていましたが、今回のソチでは男性陣の活躍が光っていますね。

さて、ソチといえばロシアの避暑地、ロシアと言えば旧ソビエト連邦、旧ソビエト連邦といえば冷戦時代には悪役のイメージ(教育環境の影響)が刷り込まれ、「寒い土地で娯楽も少なく人々は暗い」という印象を抱いていました。

ところが数年前にロシアの首都モスクワを訪れた経験等で、ロシアの印象が大きく変わったのです。分かりやすく表現すると「大雑把でテキトー」「強引で無神経」柔らかく表現すると「ダイナミック」かな。

モスクワ空港でタクシー手配してもらったら、カローラクラスの小型タクシーが現れたんですよ。トランクにはスーツケースが2つしか入るスペースがないのに、無理やりあと3個載せようとしてスーツケースが割れたことがありました。

また、そのタクシーが大渋滞にはまり、仕事会場に着いたのが夜の9時過ぎと大幅に遅れ、現地の女性スタッフ(美女)が「夜食を頼むからこのメニューから好きなものを選んで」と言ってきたので、好きなものを選んで30分近くお腹を空かして待っていると、その女性がやってきて「お店は9時で閉まっている」と悪びれる様子もなく言ってきたり…

Ural_375_1.jpg
さて、ロシア製トラックといえば「時代遅れで軍用関係で開発された車両」のイメージが強いですね。

第2次世界大戦辺りまではアメ車を参考にした自動車車開発を行っていましたが、冷戦時代に入り欧州等から車の輸入が制限されたため競争が無く、モデルチェンジのペースも遅くなり次第にロシアの自動車産業が時代遅れになってしまったのです。

画像はロシアで撮影したURAL自動車工場製の「Ural 375」全輪駆動トラックです。軍用車だけにへたに撮影すると捕まったり、撃たれそうなので遠方より撮影。

Ural_375_2.jpg
この2台の「Ural 375」はベルリンで撮影したもの。

ロシアは春になると雪が溶け出し、舗装されていない道路は泥濘になり、あちこちで川ができます。車体設計は古くてもそういう道路状況でもカンガン走れるような車体造りはさすがですね。「Ural 375」は軍用車だけでなく、木材運搬用として使用したり、スタックした車両を救助するためのレッカー用などロシアでは広範囲に使われています。

ボンネットの右側からキノコみたいなものが生えていますが、これは水没してもエンジンが空気を吸えるようにしたシュノーケルで、農業用トラクターのようなタイヤと合わせて、かなりスパルタンな印象を受けます。

Ural_375_4.jpg
指揮通信車や兵員輸送用として荷台にはプレハブのような箱型キャビンを乗せていているのですが、幌荷台だと寒い土地柄なので兵隊さんが凍死するのかな。

Ural_375_3.jpg
ホイルの中央(ハブ)からタイヤのバルブにかけて変なパイプが付いていますが、これは「タイヤ空気圧制御装置」というもので、悪路での走破性を高めるために全てのタイヤに取り付けられ、運転席からの操作で空気圧を調整するものです。

技術は戦争によって進歩するのが多いのですが、人間が競うオリンピックがあるのなら、技術を競うオリンピックも大々的にやらないのかな?と思います。 そうしたら日本勢は結構強いかも。


【Ural 375 4.5t積】
推定年式 1965-1976年

1965年、戦後世代の軍用トラックを近代化するため「Ural 375」トラックが開発された。
1969年、改良型(汎用型?)の「Ural 375D」を開発し、軍用/民間用として使われる。
1976年、Ural 375をベースに「Ural 4320 6t積」を開発。
4320は現在でも継続して生産が続けられているらしい。

| Russian trucks | 23:11 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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【Nissan Diesel CV】 在りし日の姿

UDトラックス(旧ニッサンディーゼル)は国内トラック4メーカーの中で古いトラックの残存数が低いと言われており、発売から20年が経過した車両を見つけるのは非常に難しいです。

原因はいろいろとあると思うのですが、アフターパーツやサービスの面で弱いとか、海外に輸出され易いとか、商品ラインナップに偏りがあるのか、何かしらの原因があると思いますが、ここでは追求するのをやめておきます。

Nissan_Diesel_CV-series_1.jpg
過去に目撃したニッサンディーゼルの大型トラックの中で、特に印象に残っているのは気仙沼のCV型(6×2)です。 車体は鉄工所?の駐車場に置かれた状態で、荷台の幌にはブルーシートなど何重も重ねている点などから、資材などを保管していた様子が伺えます。

撮影したのは2009年4月のことですが、翌年あたりにキャブだけが抜き取られてシャシと荷台だけの姿になり、2011年3月に東日本大震災による津波でこの辺り一面が被害に遭い、更地になってしまいました。

Nissan_Diesel_CV-series_2.jpg
前2軸、後1軸の6×2駆動のCV型ということで、現役時代は長距離高速輸送に使われていたのでしょうか? このC系トラックは深緑のイメージが強く、昭和時代に多く見かけた幌ボディと上手く馴染んでいます。 ルーフ上に取り付けられた小ぶりなシートキャリアには、アンドンが取り付けられていたようです。

【Nissan diesel CV(後期型)】
推定年式 1977-1979年頃


1971年7月、サングレイトシリーズからモデルチェンジされ、全車4サイクルディーゼルエンジンを搭載した”ニューキャブシリーズ(Cシリーズ)”を発売。余裕のあるパワーと経済性を謳い、それに伴うミッションやアクスル、デフの強化などとともに、居住空間が改良され、見やすく居心地の良いものにしている。フロントウインドウも一枚の曲面ガラスになった。
1977年、は大型グリルを採用されたモデルにマイナーチェンジ。
1979年、昭和54年排出ガス規制を機に後継車(通称レゾナ)に切り替えられた。

絶滅度 ★★★★☆
レア度 ★★★★☆
満足度 ★★★☆☆
状態  撤去済み
撮影地 宮城県 気仙沼市
撮影日 2009年4月

| Nissan diesel / UD | 10:22 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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【Zero Fighiter】 未来への第一歩

今朝の「喝!」でおなじみの報道番組の酷さに呆れてものが言えません・・・

この記事を掲載しようかどうか悩んだんのですが、報道の公平さに欠けるマスコミの報道に対してちょっとだけ抵抗したくなりました。

「これ、おかしいな?」 「何でかな?」

と思ったら流される情報だけを鵜呑みにせずに、自分自身で調べて自分の価値基準で判断してもらいたいと思います。

Yasukuni.jpg
先日、甥が大学受験のために東京へ上京し、当日は試験会場まで私も同伴することに。

受験会場の近くには靖国神社があり、せっかくなのでちゃんと一度お参りをしたく神社に向かう事にしました。 靖国神社に訪れるのは7年ぶりの2度目で、機会があればじっくりとお参りをしたいと思っていたのです。(前回は時間がなくて駆け足だった)

参拝の理由は私の祖父(故人)は陸軍砲兵所属で戦死した訳ではありませんが、なにか祖父の魂がここにいるような感じがするし、欧米露のアジア全域植民地化に対して祖国を守ってくれた人々への感謝の気持ちがあったから。

魔法の動画

靖国神社ではいろんな驚きがあったので、いくつかご紹介します。
① 朝早い時間だというのに高齢者だけでなく、若い人、欧米外国人などが多かった事。
② 中国人観光客が一般観光地と同じように笑顔で記念写真を撮っていた事。
③ 子供にこの神社の意味を教えていたお母さん。
特に高齢のおばあさんが涙をおさえながら手を合わせていたのが印象的でした。

靖国神社への参拝は立場の違いによっていろんな意見があると思いますが、外交戦略が絡む以上、なかなか円満解決はないのでしょうね。

Yushukan_Zero-fighter_Type52_1.jpg
靖国神社内にある遊就館には零式艦上戦闘機五二型が展示されています。
通称「零戦」で有名ですが、名前の由来は軍事兵器の年式を表すのに皇紀(明治政府が定めた日本独自の紀元)を使用するので、2600年(昭和15年)の下二桁の「00」を「零式」と呼ぶのに由来しています。

五二型は昭和18年8月より生産を開始し、甲・乙・丙型を含めて終戦までに約6,000機が生産され、零戦の最多量産型になったそうです。

皇紀記号のトラックといえば、94式六輪自動貨車と97式自動貨車が有名ですね。

Yushukan_Zero-fighter_Type52_2.jpg
この機体は出力アップの為でしょうか、エンジン周囲を囲ったカウルからは排気管が出ており、実に星型エンジンらしい雰囲気でした。 また、カラーリングについてですが、上面部はジャングルを飛行中に上空から分かり難くするために深緑色にし、下面部は地上から見たときに上空に溶け込む色になっています。

Yushukan_Zero-fighter_Type52_3.jpg
零戦に乗り込み際には翼から乗り込む訳ですが、当時のパイロットたちはこの角度からの眺めをどんな気持ちでみていたのだろうか。

Tachiarai_Zero-fighter_Type32.jpg
こちらの零戦は福岡県の大刀洗平和記念館に置かれた”零式艦上戦闘機三二型”です。 高速性能アップを目指して翼端を角型にカットした初期型の同機は、343機製造された中の現存する1機だとか。

大刀洗(たちあらい)というのは福岡県にある町名で、戦時中は東洋一と謳われた大刀洗飛行場があった場所です。当時の飛行機は機体が軽かったので、飛行場といってもちゃんとした滑走路はなく、だだっ広い原っぱから飛び立ったそうで、ちゃんとした滑走路が出来たのが昭和19年から20年にかけてといわれています。

【最後に祖父の戦争体験について】
祖父は戦時中の事についてほとんど話してくれませんでしたが、終戦記念日に辛かった気持ちを教えてくれたことがありました。 まずは負傷者が多い場所で野営をしたときの経験で、トイレに行く際に死人を見るは怖くなかったけど、苦しんでいる人を見るのが辛かったこと。 2つ目は、暗闇で付近の池?までハンゴウに水を汲みに行き、炊事して出来上がったご飯が赤飯のようになっていたので、明るくなってその池の様子を見に行くと血の池だったという話。 最後に病気の心配もあったのでしょうが、敵味方関係なく戦死者を丁重に葬っていたこと。 晩年まで規律正しく真面目だった祖父らしい話で、そんな祖父も没後26年が経ちます。

| Event report | 17:12 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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Hino Ranger2】 ウイングマークの白い2t車

今回は「初代 日野レンジャー2」のリクエストに応え、記事を書いてみます。

日野レンジャー2について簡単に説明すると、1978年に2t車のレンジャー2を発売し、約2年後に3t積のレンジャー3が発売。2度のフルモデルチェンジを行った後の1999年に日野デュトロへ移行するとともにレンジャー2・3ブランドは消滅しました。

ベースとなったのはトヨタ・ダイナですが、日野版としてフロント周りの意匠を変更した「日野レンジャー2・3」と、ダイハツ版の「ダイハツ・デルタ」とともにトヨタグループの3兄弟として商品化されたのですが、大中型トラックを得意とする日野の販売網はトヨタに比べると弱く、ダイナに比べると販売台数は桁違いであったと思います。

1978年の発売当初の初代日野レンジャー2の販売目標が700台であり、約6年の販売期間で発売された台数を予測すると(乗用車の年次減衰率を適用)約3万台弱くらいではないでしょうか。

Hino_Ranger2_Van.jpg
画像は2012年7月、北海道で目撃したレンジャー2のアルミバンです。
アルミバン仕様は平ボディや特装車に比べると走行距離が延びてしまい、すぐに廃車になるケースが多いのですが、こちらの会社では綺麗な姿で残っていました。見た感じ大事に使われていることが分かります。

キャブデザインは70年代の日野顔を2t車に移植したもので、大型車と中型車に共通するウイングマークとグリルデザインが特徴になっています。

Hino_Ranger2_K-HV25_1.jpg
こちらはたまたま通りかかったローデッキ仕様(超低床荷台)で、とても30年以上が経過したとは思えない位のピカピカ車両でした。この車は間違いなく車庫保管でしょう。

70年代までの小型トラックはブルー系やブラウン系のボディカラーが標準とされていましたが、80年代初頭になるとホワイトボディのブームとなりました。新しさや清潔さなどの効果があるのかもしれませんが、ホディカラーでメーカー毎の判別が出来なくなったのは残念です。

Hino_Ranger2_K-HV25_2.jpg
イメージしてみて下さい。
小動物でも同じことがいえますが、黒目が大きくなると可愛く感じられ、守りたくなる気持ちになると思います。 このレンジャー2も男っぽい日野デザインを踏襲しているのですが、何となくカワイイ感じに見えませんか?

Hino_Ranger2_K-HV25_3.jpg
連写モードで撮影したので、同型車を続けて掲載。


【Hino Ranger 2】
製造期間 1978-1984


1978年8月4日、日野はこれまで中型トラックのレンジャーシリーズ3.5~6.5t積に加え、小型トラック市場に新風を送り込む新しい2トン車を発売。 ラインナップは高床ボディから超低床ローデッキまで4タイプを用意し、エンジンは瞬発力と粘りのB型ディーゼルエンジン(85ps)と俊敏さと信頼のDG型ディーゼルエンジン(75ps)を搭載。

1978年12月12日、レンジャー2に建設用ダンプ4車種を加え発売した。
B型とDG型ディーゼルエンジンの2種類を搭載し、荷台長2,850mmの標準ダンプと3,000mmのロングダンプを揃え、積載量はともに2t積であった。(この頃に全車バンパーフォグ穴が追加されたと思われる)

1980年10月29日、3t積小型トラックの「レンジャー3」を設定し発売開始。
2t車では小さく、4t車では大きいというユーザーに向けた機種で、ロングボディ車にワイドキャブを装着。3B型ディーゼルエンジン(98ps)と排気ブレーキを搭載するなど、力強さと安全性を高めている。

1983年3月24日、レンジャー2・3シリーズを改良し、昭和57年排ガス規制(K規制)を適合するとともに、性能と装備を向上させた。また急速グロー式始動装置による始動性を向上させている。

1984年9月6日、レンジャー2・3シリーズのフルモデルチェンジを実施。

絶滅度 ★★★★☆
レア度 ★★☆☆☆
満足度 ★★★★☆
状態  現役車(2台とも)
撮影地 北海道(2台とも)
撮影日 バン:2012年7月、ローデッキ:2011年10月

| Hino | 11:03 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

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