国産トラックの歴史において「軍事用トラックの納入」が普及・拡大の大きなキッカケになったと言えます。
時は昭和6年、満州事変が勃発。
これを契機に日本は次第に戦時色を増していき、政治・経済のあらゆる分野で軍部の発言力が高まって、国防上の観点からも国産自動車工業確立の声が高まりました。軍部は大陸進行作戦のためにも自動車の自給自足体制の確立を強く希望し、積極的に国産車の保護育成を推進しようとしたのです。
そうした状況下、商工省は新しくトラック・バスについて標準型式を制定し、使用者には自動車税の引き下げを行い、外国車の輸入税を引き上げて国産車の開きを調整することが決定。昭和8年3月に鉄道省、石川島自動車製作所、東京瓦瓦斯電気工業、ダット自動車製造の4社の共同設計による試作車が標準型式自動車として制定され、
のちの「いすゞTX35型/40型」になります。
いっぽうダットサンを製造していた日産は、大型車を量産することで自動車製造事業法の許可会社に加わろうとしたものの、軍部の反対によりGMとの提携は失敗。ちょうどその頃アメリカのグラハム・ページ社が経営に行きずまっており、日産は同社の設備や治工具と図面を買い付けて製造を開始し「日産80型トラック」が誕生しました。

日産80型トラックは昭和12年(1937年)に完成。
当時としては珍しいセミキャブオーバー型で、生産された80型トラックの多くは軍が買い上げ満州に送られたものの、キャブオーバー型特有の整備性の悪さや、フロントヘビーからくる悪路走破性の悪さが問題になり、運転席の高さから狙撃されやすい問題や、地雷を踏んだ時に運転席まで吹っ飛ぶといった兵士の不満もあったようです。
画像は昭和12年(1937年)の自動車雑誌の広告で、勝利を祝すタイトルとともに80型トラック等を紹介しており、戦時色が強くなっていますね。

こちらの広告も昭和12年(1937年)のもので、2種類あったホイールベースのショート型タイプです。
同時に80型トラックシャシーを使ったバスも誕生しています。

昭和13年(1938年)の広告になると、キャブオーバー型の特徴を明記するようになっていますね。

同じく昭和13年(1938年)の広告。
日中戦争が勃発した後は戦線の拡大につれて、大量のトラックが必要となってきたので、乗用車生産よりトラックやバスの生産が優先されたのでした。

80型トラックの情報が少ないので、日本の自動車技術240選から画像引用。
製造期間 1937年3月~1940年12月頃
エンジン 水冷直列6気筒 サイドバルブ 3.670cc 85馬力
最大積載量 2トン積み
乗車定員 2人
現在において、この80型トラックを運転した経験のある人は居るのだろうか・・・
時は昭和6年、満州事変が勃発。
これを契機に日本は次第に戦時色を増していき、政治・経済のあらゆる分野で軍部の発言力が高まって、国防上の観点からも国産自動車工業確立の声が高まりました。軍部は大陸進行作戦のためにも自動車の自給自足体制の確立を強く希望し、積極的に国産車の保護育成を推進しようとしたのです。
そうした状況下、商工省は新しくトラック・バスについて標準型式を制定し、使用者には自動車税の引き下げを行い、外国車の輸入税を引き上げて国産車の開きを調整することが決定。昭和8年3月に鉄道省、石川島自動車製作所、東京瓦瓦斯電気工業、ダット自動車製造の4社の共同設計による試作車が標準型式自動車として制定され、
のちの「いすゞTX35型/40型」になります。
いっぽうダットサンを製造していた日産は、大型車を量産することで自動車製造事業法の許可会社に加わろうとしたものの、軍部の反対によりGMとの提携は失敗。ちょうどその頃アメリカのグラハム・ページ社が経営に行きずまっており、日産は同社の設備や治工具と図面を買い付けて製造を開始し「日産80型トラック」が誕生しました。

日産80型トラックは昭和12年(1937年)に完成。
当時としては珍しいセミキャブオーバー型で、生産された80型トラックの多くは軍が買い上げ満州に送られたものの、キャブオーバー型特有の整備性の悪さや、フロントヘビーからくる悪路走破性の悪さが問題になり、運転席の高さから狙撃されやすい問題や、地雷を踏んだ時に運転席まで吹っ飛ぶといった兵士の不満もあったようです。
画像は昭和12年(1937年)の自動車雑誌の広告で、勝利を祝すタイトルとともに80型トラック等を紹介しており、戦時色が強くなっていますね。

こちらの広告も昭和12年(1937年)のもので、2種類あったホイールベースのショート型タイプです。
同時に80型トラックシャシーを使ったバスも誕生しています。

昭和13年(1938年)の広告になると、キャブオーバー型の特徴を明記するようになっていますね。

同じく昭和13年(1938年)の広告。
日中戦争が勃発した後は戦線の拡大につれて、大量のトラックが必要となってきたので、乗用車生産よりトラックやバスの生産が優先されたのでした。

80型トラックの情報が少ないので、日本の自動車技術240選から画像引用。
製造期間 1937年3月~1940年12月頃
エンジン 水冷直列6気筒 サイドバルブ 3.670cc 85馬力
最大積載量 2トン積み
乗車定員 2人
現在において、この80型トラックを運転した経験のある人は居るのだろうか・・・
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