<< PREV | PAGE-SELECT | NEXT >>

>> EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

【マツダ T1500/T2000】 三輪トラックの歴史

本日は”三輪トラック”の話題を取り上げたいと思います。

1980年前後までは、実家近くの肥料屋さんが乗っているダイハツの三輪トラックをたまに見かけていたのですが、
当時、私を含めた小学生たちは「うわーっ三輪トラック!」と叫び、時代の違うトラックの登場に少し小馬鹿にした感じでした。
(ちなみにその肥料屋さんは今も三輪トラックを保有しているとか)

私たち(団塊ジュニア)世代にとっては三輪トラックは過去の乗り物だったのです。

Mazda_T1500_1.jpg
【Mazda T1500】
静岡県の旧道を走っていると、駐車場の片隅に置かれた三輪トラックを発見。
ボディの所々に錆色が出ていて良い感じの状態になっていますが、きちんとレストアを行えば路上復帰も可能に感じます。

マツダのクルマづくりの原点は、1931年に発売した3輪トラック「マツダ号DA型」とともにスタートした訳ですが、このT1500/T2000シリーズが最終モデルとなり1974年頃まで生産されたのでした。

Mazda_T1500_2.jpg
【Mazda T2000】
こちらの車両は長野県で見かけたT2000型です。
T1500型の1500㏄ 1トン積み対して、T2000型は2000㏄ 2トン積みになります。
フロントフォーク形状はハーレーダビッドソンのスプリンガー式みたいです。
ルーフはキャンバスで覆われていますが、これは室内のこもり音や振動を解消するためなのかな。


【三輪トラックの歴史】

第2次世界大戦以前の3輪自動車はほとんどが貨物運搬用として使われ、各社の名称は3輪車、自動三輪車、オート三輪車、三輪自動車などとはまちまちで、「バタンコ」とか「バタバタ」などとも俗称されていたが、昭和25年にマツダが呼び出した「三輪トラック」という呼び名が一般化されたのでした。

終戦後、3輪トラック業界へ新規参入した企業は10社を数えたものの、昭和24年のドッジ不況下に数社が離脱。当時の三輪トラックはいずれも大型オートバイの後輪を2軸とし、そこに荷箱を置いた形式のものであり、バーハンドル式、サドル式運転席という運転姿勢で運転席をカバーするキャビンは無く、座席も風雨にさらされたままの戦前からのスタイルを引き継いでいたのです。

本来、三輪トラックのメリットは操向輪が1輪であるため、小回りが利くことや、予め過荷重を想定してボディを頑丈に造られている点など、四輪トラックよりも優れた面で支持されていたのであった。

昭和25年以降になると、車両寸法に制限がない三輪トラックは市場からの強い要請に沿って大型化の道を歩み続け、積載量の増大やロングボディの追加等の積載性向上と同時に動力性能の向上も積極的に推進されたのでした。

また大型化につれて装備も豪華になり、風防窓の取り付け、運転台の覆い、冷却性能の向上などと3輪トラックのイメージを大きく変えることになったのです。それは3輪トラックが性能的にも価格的にも著しく小型四輪トラックに接近し、両者の競合関係が次第に強まることを意味したのです。

昭和31年頃から日本におけるモータリゼーションの開幕始まり、依然としてトラックが自動車販売のウエイトを大きく占めていた。これまで圧倒的な生産量を占めていた三輪トラックは後退し始め、これに代わり小型四輪トラックが登場(トヨエース)して大きく伸び始め、トラック生産の地位は、小型四輪によって交代されるに至ったのです。

その後も3輪トラックはデラックス化を図っていくが、これに対し小型四輪トラック(トヨエースやキャブライト)の方は逆に簡素化による低価格化を押し進め、昭和30年頃から次第に価格の引き下げを実施し、3輪トラックとの価格差を著しく縮小していった。

結果的に三輪トラックの進化は限界に突き当たると同時に価格競争力を失う形になり、トラック市場を小型四輪トラックに奪われたのです。
スポンサーサイト

| Mazda | 22:28 | comments:11 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

T1500・2000やダイハツミゼットの終焉も1974だったかに記憶しています。
しかし昭和50年にちかいこの頃、マツダはE2000どころかタイタンが登場して久しく、ダイハツも既にハイゼット360時代も末期で翌年には新規格が併売される頃です。
1~2tクラスはライバルたる4輪貨物のトヨタSKB登場から20年、軽でも軽3輪ブームが去って10年以上経っていた訳で、何故ここまで残っていたか理由が知りたいです。
1974年と言えば小生もしっかり記憶が有る頃ですが,既に身近で見かける事は殆ど有りませんでした。
この頃の3輪の新規登録台数の資料等ご存知でしたらご教示下さい。
最末期はどんなユーザだったか興味深いですね。
想像するに4No.枠を出ても税金保険を節約したいユーザとかでしょうか?

| 元はとばす | 2012/06/20 14:00 | URI | >> EDIT

久々のコメントになってしまいました(汗)コメントは出来なくてもしっかり見てますよ!!

3輪トラックは今までミゼットとK360、T600しか地元では出会ったことが無く、普通車サイズだと長野で見かけたダイハツしか見たことないんですよね。

うちの父親はぎりぎり三輪トラックに乗ったことがある年代らしく、引越しの手伝いで空荷のミゼットに乗り、きつい下りのコーナーでジャックナイフがごとく後輪が浮き上がり、それ以降乗るのを避けてきたそうです(笑)

| EP100 | 2012/06/24 18:20 | URI | >> EDIT

元はとばす様

資料によると、ダイハツ三輪トラックの製造中止は1972年と記載されていました。オイルショックを前に新車販売が終了していたことになります。

小型三輪トラックは車両規定の縛りが少ない上、小回りも効いたから、超ロングボディの出現や2トン積車が生まれ、特に狭い道の重量物運搬などに活躍したと聞きました。
個人的な職業として木材加工業者のイメージがあります。

三輪トラックの販売台数の情報はあるので、機会をみて公開いたします。


| Route★ZERO | 2012/06/25 08:14 | URI |

EP100様
三輪トラックの弱点はコーナーでの安定性なので、無謀な運転や過積載をすると転倒しやすくなりますね。昔は道路は未舗装で走行スピードも低かったから多少はマシだったかもしれませんね。

バーハンドル時代の三輪トラック(~50年代)は、後輪しかブレーキが付いていなかったと聞いたので、今度機会があれば現物を確認したいと思っているところです。

| Route★ZERO | 2012/06/25 08:26 | URI |

はじめまして

T2000オーナーのビッグマスキーと申します

S47年登録のTVA32Sに乗っています。
どうやら、受注生産以降後のデットストックを登録した車のようです。

初代オーナーは材木商でした。
二間材が積めて軽トラ並みの小回りで重宝したようです。


登録状況ですが、中古新規時に官吏に訪ねたところ、最終登録は49年でした。
30年前まで新車が買えたとは驚きでした。


前輪ブレーキについて
当時を知る整備士に言わせると、8割の車はFブレーキが固着して効かないとのこと。
ドラムも噛み込むと外す術がなく…いくつかある泣きどころの1つだそうです。


耳学問の長文失礼しました。

| Big Muski | 2012/07/02 12:50 | URI |

Big Muski様
こちらこそはじめまして。
建機を中心に幅広く活動されていて頭が下がります。

お持ちの車がTVA32Sということは、全長6m超の大型タイプの三輪トラックじゃないですか。小回りが効くといっても普段の足に使うには制約が多いですね。

2000cc 81馬力のエンジンを搭載した2トン積み車ではありますが、木材商で使われていた頃には最大積載量を超える量の木材を満載していたかもしれませんね。過積載時にはブレーキ操作に細心の注意をされていたのだと想像します。

私は三輪トラックに乗った経験も無く、好き勝手な内容を書いますが、前輪ブレーキが固着する持病を持っていた事は知りませんでした。

維持するのが大変かもしれませんが、これからもお大事に乗り続けてください。

| Route★ZERO | 2012/07/03 22:59 | URI |

Route★ZEROさま

一時、足車として使ってました。田舎の車社会なんで、行動の制約はあまり感じませんでしたね。
何より、古いもの故に突発的な故障が一番怖いです。


当時の運転手によれば、倍は当たり前。7t位積んで走ったこともあったとか。
本当に昔の運転手は技術職だったんだと実感させられます。


兵庫にお越しの際は是非ともお立ち寄りください。
T2000でお迎えにあがります!!

| Big Muski | 2012/07/04 19:49 | URI |

Big Muski様
私も地方勤務をしていた時に、古いイタ車(乗用車)と古いバイクを持っていたので、突発的な故障もいろいろと経験しました。日頃の整備、点検をこまめにやるようになってからは、ある程度のトラブルは解消できましたが、都内への転勤により、車の方は駐車場のお金が捻出できず、泣く泣く手放してしまいました・・・

未舗装の道路、3輪という不安定な車体、さらに最大積載量を遥かに超える積荷と、当時の運転手は時間当たりの仕事密度が非常に高かったことをうかがえます。

兵庫に行く機会があれば、どうぞ宜しくお願いします。

| Route★ZERO | 2012/07/09 08:16 | URI |

1974年―50年排ガス規制施行を翌年に控え、ケンメリのスカイラインやセリカLB2000GTが売れまくっていた時代まで生きながらえたマツダオート三輪T1500/2000は時を超えたシーラカンスとも取れるし、逆に言うならそれだけ山奥の材木商や農業など「根強い支持基盤」を持った「我が国特有の文化」だったのかも知れませんね。
何と言ってもあの長閑な「ルルルルムムーン♪」というようなマツダ製4気筒OHVサウンドは見る人の心を桃源郷に誘ってくれる味わいが感じられてなりません。

| 真鍋清 | 2012/12/02 23:48 | URI |

真鍋清さま

三輪トラックは車両制限がなかった事と、最大積載量をはるかに超える耐久性を持ったフレーム、小回り性の良さなどが木材商等の職種に重宝されたものですが、80年代に入ると地元の木材業者は初代タイタンに乗り換えていました。

当時は乗用車もそうですが、自動車の性能進化が著しいことも手伝って、とにかく新しいモノへの欲求が強かった時代でしたから、今のように過去の産物はあまり見向きがされなかった印象があります。

| Route★ZERO | 2012/12/03 23:42 | URI |

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

| | 2013/06/15 12:07 | URI |















非公開コメント:

TRACKBACK URI

http://route0030.blog.fc2.com/tb.php/168-4fb4acc6

TRACKBACK

<< PREV | PAGE-SELECT | NEXT >>

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。