昨今、国内での乗用車販売台数のうち軽自動車が占める割合が35%以上になり、新車の3台に一台が軽自動車という状況が継続・拡大しています。消費者の経済的な事情もあるし、車で見栄を張ることの馬鹿らしさを感じるひともいるでしょう。また、軽自動車に払う価格と得られるバリューが納得できるレベルに達しているのまもしれません。
日産は2002年にスズキMRワゴンをOEMしてもらい、”モコ”とい名称で同社初の軽の販売を開始。いっぽうトヨタ自動車はダイハツから軽をOEMしてもらい2011年秋より”ピクシス・シリーズ”を販売開始。トヨタはいろんな事情から軽を積極的な発売をしていない(CM投下なし、セールスマンの成果に反映されにくい)のですが、軽市場が気になっている事は間違いないでしょう。
さて、トヨタといえばその昔、軽自動車と間違えそうな車種「ミニエース」を発売していました。同社の大衆車「パブリカ」をベースにキャブオーバー型スタイルを持ったトラックとバンです。

こちらが「ミニエース・トラック」
どうですか? 軽自動車のような佇まいでしょ!
私自身も学生時代まではトヨタ・ミニエースの存在を知らず、それまで単なる軽自動車として見過ごしていたのだと思います。
ミニエーストラックの諸元は、全長3,505mm、全幅1,380mm、全高1,625mm
一方、現行軽自動車は、全長3,395mm、全幅1,475mmとミニエースの方が全長で110mm長く、全幅で95mm短いディメンションとなっています。エンジンは2U-B型 空冷4サイクル2気筒(水平型)OHVで排気量は790㏄。 最高出力は36psで最高速度は110㎞/hに達するとか。
1970年代初期には軽が30万円~36万円の価格レンジであったのに対し、ミニエースは36.7万円(一方開きUP100-D)37.9万円(三方開きUP100B-D)と安いながら、最大積載量は500㎏と軽では物足りないユーザーの獲得を狙ったものの、後継機種が誕生しなかった事から見ると、800㏄で500㎏積クラスのトラックは市場のマスは無く、セールス的には成功したとは言えなかったことでしょう。
軽自動車の税制恩典等で苦戦したことと、昭和50年排ガス規制をクリアできなかったことにより1975年12月に生産終了。

画像の車両は一見ノーマル車のようですが、目元をプチ整形されています。
本来ならば、ヘッドライトの光軸をレンズカットにより配光するタイプですが、この子にはマルチリフレクター式を移植しています。(ブルーかかったヘッドライトにより年代よりも若く見える感じです)
ミニエースは1967年11月に登場していますが、この子は1971年頃にフェイスリフトされた後期型です。見分けるポイントとしてワイパー付け根部分のガーニッシュに”TOYOTA”文字が入るのは後期型で、前期型はフィン状の通気口となっています。
感心した点は、ミラーの取付とドアヒンジとエンブレムを3つの機能を一つの部品にしている点で、部品種類削減において面白いアイディアだと思います。

後方の車体構成も軽自動車とそっくりです。
荷台は床面地上高570mmの低床一方開き車と、画像の三方開き車の2車を用意。
今ではミニエースを見かけることは少なく、これまでに写真に収めたのは5台程です。
【Toyota Miniace】
推定製造期間 1971-1975年
1967年11月15日、500㎏積の低床式小型トラックの「ミニエース」および同幌付車を発売した。 廉価、経済性を考えた設計は、フラットで広い荷台と相まって市街地や商店街での小口配達などに適している。 エンジンはパブリカで定評のある800㏄エンジンを床下に搭載し、最高速は110㎞/hと機動性に優れている。(乗車定員2名)
1968年2月、1BOX型の「ミニエースバン」と7人乗の「ミニエースコーチ」を発売。
1968年8月5日、ミニエースのバリエーションを充実するため、高床3方開車とパネルバンを追加した。 高床式3方開車は低床式車をベースに高床式にし、タイヤハウスが無くなりフラットな荷台を実現。また積み降ろしも3方向から行え、荷台長15mm、荷台幅25mm拡大、鳥居が標準装備され使い勝手が向上している。
1969年9月19日、ミニエースシリーズをマイナーチェンジし、同時にトラック系にデラックス車を追加した。 エクステリアの変更点はフロント上部のベンチレーションカバーの変更とともに、タイヤサイズをアップし、耐久性と接地性、乗り心地の向上を図っている。
1971年2月20日、ミニエースシリーズをマイナーチェンジし、機能充実と一部の意匠変更が行われた。 外観ではフロント上部のベンチレーションカバーを変更し、TOYOTA文字入りオーナーメントを組み込んだ他、フロントターンシグナルランプの色をクリアからアンバー色に変更して視認性を高めた。
1975年12月、昭和50年排出ガスをクリアできず、生産終了。
絶滅度 ★★★★☆
レア度 ★★★★☆
満足度 ★★★★☆
状態 現役車
撮影地 長野県
撮影日 2009年10月
日産は2002年にスズキMRワゴンをOEMしてもらい、”モコ”とい名称で同社初の軽の販売を開始。いっぽうトヨタ自動車はダイハツから軽をOEMしてもらい2011年秋より”ピクシス・シリーズ”を販売開始。トヨタはいろんな事情から軽を積極的な発売をしていない(CM投下なし、セールスマンの成果に反映されにくい)のですが、軽市場が気になっている事は間違いないでしょう。
さて、トヨタといえばその昔、軽自動車と間違えそうな車種「ミニエース」を発売していました。同社の大衆車「パブリカ」をベースにキャブオーバー型スタイルを持ったトラックとバンです。

こちらが「ミニエース・トラック」
どうですか? 軽自動車のような佇まいでしょ!
私自身も学生時代まではトヨタ・ミニエースの存在を知らず、それまで単なる軽自動車として見過ごしていたのだと思います。
ミニエーストラックの諸元は、全長3,505mm、全幅1,380mm、全高1,625mm
一方、現行軽自動車は、全長3,395mm、全幅1,475mmとミニエースの方が全長で110mm長く、全幅で95mm短いディメンションとなっています。エンジンは2U-B型 空冷4サイクル2気筒(水平型)OHVで排気量は790㏄。 最高出力は36psで最高速度は110㎞/hに達するとか。
1970年代初期には軽が30万円~36万円の価格レンジであったのに対し、ミニエースは36.7万円(一方開きUP100-D)37.9万円(三方開きUP100B-D)と安いながら、最大積載量は500㎏と軽では物足りないユーザーの獲得を狙ったものの、後継機種が誕生しなかった事から見ると、800㏄で500㎏積クラスのトラックは市場のマスは無く、セールス的には成功したとは言えなかったことでしょう。
軽自動車の税制恩典等で苦戦したことと、昭和50年排ガス規制をクリアできなかったことにより1975年12月に生産終了。

画像の車両は一見ノーマル車のようですが、目元をプチ整形されています。
本来ならば、ヘッドライトの光軸をレンズカットにより配光するタイプですが、この子にはマルチリフレクター式を移植しています。(ブルーかかったヘッドライトにより年代よりも若く見える感じです)
ミニエースは1967年11月に登場していますが、この子は1971年頃にフェイスリフトされた後期型です。見分けるポイントとしてワイパー付け根部分のガーニッシュに”TOYOTA”文字が入るのは後期型で、前期型はフィン状の通気口となっています。
感心した点は、ミラーの取付とドアヒンジとエンブレムを3つの機能を一つの部品にしている点で、部品種類削減において面白いアイディアだと思います。

後方の車体構成も軽自動車とそっくりです。
荷台は床面地上高570mmの低床一方開き車と、画像の三方開き車の2車を用意。
今ではミニエースを見かけることは少なく、これまでに写真に収めたのは5台程です。
【Toyota Miniace】
推定製造期間 1971-1975年
1967年11月15日、500㎏積の低床式小型トラックの「ミニエース」および同幌付車を発売した。 廉価、経済性を考えた設計は、フラットで広い荷台と相まって市街地や商店街での小口配達などに適している。 エンジンはパブリカで定評のある800㏄エンジンを床下に搭載し、最高速は110㎞/hと機動性に優れている。(乗車定員2名)
1968年2月、1BOX型の「ミニエースバン」と7人乗の「ミニエースコーチ」を発売。
1968年8月5日、ミニエースのバリエーションを充実するため、高床3方開車とパネルバンを追加した。 高床式3方開車は低床式車をベースに高床式にし、タイヤハウスが無くなりフラットな荷台を実現。また積み降ろしも3方向から行え、荷台長15mm、荷台幅25mm拡大、鳥居が標準装備され使い勝手が向上している。
1969年9月19日、ミニエースシリーズをマイナーチェンジし、同時にトラック系にデラックス車を追加した。 エクステリアの変更点はフロント上部のベンチレーションカバーの変更とともに、タイヤサイズをアップし、耐久性と接地性、乗り心地の向上を図っている。
1971年2月20日、ミニエースシリーズをマイナーチェンジし、機能充実と一部の意匠変更が行われた。 外観ではフロント上部のベンチレーションカバーを変更し、TOYOTA文字入りオーナーメントを組み込んだ他、フロントターンシグナルランプの色をクリアからアンバー色に変更して視認性を高めた。
1975年12月、昭和50年排出ガスをクリアできず、生産終了。
絶滅度 ★★★★☆
レア度 ★★★★☆
満足度 ★★★★☆
状態 現役車
撮影地 長野県
撮影日 2009年10月
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