昨年(2015年)の12月、インドネシアのジャワ島を訪問する機会がありました。
こちらの車事情は現代の車と混じって、1970年代の日本車を中心に40年選手が普通に走っているし、黄金キャンター(現地名Colt diesel)は写真を撮るのも面倒なくらいにウジャウジャ見かけます。 旧型商用車ファンにとっては夢のような世界ですね。
さて、インドネシアでは長年見てみたかった多目的車 「初代トヨタ・キジャン」 を獲得するのが最大のミッション。
貴重な初代キジャンをGetするため、暇をみてはいろんな場所を歩きまわったものの、大都市のジャカルタやスラバヤではキジャンの獲得ならず・・・
(2代目だったら見かけたが)
「都市部には居ない」と悟った私は、中部ジャワエリアの田舎地域で探索してみると、
そこには・・・

いた!いた!いた!いた!
朝市近くの屋台が並んだ場所で初代トヨタキ・ジャンが居ました!
でも駐車位置の関係でフロント側の写真撮影が今一つ。
近くにボーッと椅子に座っている人に、「この車のオーナーは誰?」 と聞いてみると、
その人は屋台に居る人を指差して教えてくれた。
早速キジャンオーナーに写真撮影の件で話しかけてみると、
キジャンオーナー ( ゚д゚ ) 「????」
何で俺の車を撮る必要があるのか? みたいな表情をしていたので、
チップを少量渡すと、キジャンオーナーは無言で車の方向へ歩き出しました。

青のノースリーブ ジャケットを着ている人はフリー誘導員で、キジャンオーナーを教えてくれたのもこの人。 車をバックさせる時に誘導し、その見返りにチップをもらうことで収入を得ているらしい。
写真を数枚撮った後、キジャンはすぐに走り出したため、細かい部分は観察できなくて残念でしたが、かなりオリジナルを保っている車体でした。
(理想をいうと、窓はガラスじゃなくて幌タイプを見たかった)

こちらも中部ジャワの地方都市で見かけた初代キジャン。
初代キジャンは1977年6月に発売された多機能車で、この初期モデルは「必要最低限の機能」と「過酷な使用環境にも耐えうる性能」、そして汎用性に豊んだ低価格車」というコンセプトに基づき、ノックダウン(CKDタイプ)された車両で、インンドネシアのほかフィリピンやマレーシアなどでも現地名で発売された。
(残念ながら日本での販売はされていない)
初代、2代目キジャンは折り紙細工のようなボディが特徴ですが、これにはインドネシアでノックダウン生産をする条件に、ボディ部品を現地で調達する必要性があったが、現地の技術で設備投資を少なくすることを考慮した結果、直線の折り曲げを行うベンドを中心にした結果だったから。

続いて中部ジャワのガソリンスタンドで見かけたピンクの初代キジャン。
ちなみに給油口は助手席側のドアノブ後方にあります。
オーナーが若いだけに、足回りを中心にカスタムされていました。 フロントバンパーは2代目キジャンからの流用らしく、フロントグリルのオーナメントは宗教的なものが取り付けてありました。

キジャンといえば、カロセリという町の自動車工場レベルのボディ架装メーカーとの繋がりが強く、カロセリ業者はバスボディやトラックの架装を手掛けてきた経験を生かし、初代キジャンも各地のカロセリの手によって様々なボディが製造されたそうだ。
(カロセリとはイタリア語のカロッツェリアの発音からきているのだとか)
画像のバスボディもそうしたカロセリ業者の一つが制作したものだと思われます。
(フロントフェンダーも違っていますね)
オーナーのリクエストに応じて架装してくれるため、ニーズに合った車が素早く手に入る一方で、雨漏りとかのトラブルも多かったのだとか。

カロセリの技術ではスライドドアやテールゲートを制作するのは厳しかったようで、ヒンジ式の2列目ドアやRRエンジン搭載車に見られたような、エンジンメンテリッドのようなリヤハッチが見受けられます。

インパネ周りは本当に必要最低限のものしか付いていませんでした。 エアコンも無いので当然HVAC(エイチバック)も必要ないし、ラジオや時計すらありません。
今の時代だと逆にシンプルな運転席も新鮮に感じるし、楽しそうなイメージがある。
不思議なものですね。
【Toyota Kijang】
製造期間 1977-1980年
絶滅度 ★★★☆☆
レア度 ★★★☆☆
満足度 ★★★★★
状態 現役車
撮影地 インドネシア 中部ジャワ地域
撮影日 2015年12月
【1976年12月】
トヨタは新たに開発した多目的用途車BUV(basic utility vehicle)をまずフィリピンに導入し、今後状況に応じて他の国々にも導入することを発表した。
(フィリピンではタマラオという名前で発売)
【1977年6月】
多目的用途車BUVをインドネシアで発売することとなり、トヨタ車の輸入・販売代理店である「トヨタ・アストラ・モーター社」を通じて販売された。
インドネシアでの車名は「Kijan:キジャン」とし、現地で鹿を表す言葉を使用した。
キジャンはインドネシアの工業化政策と多様化する輸送ニーズに対応するために投入されたもので、キジャンの組み立てはインドネシアのトヨタ車の組み立て会社である「マルチ・アストラ社」が担当するが、エンジン、トランスミッション、シャシー等は日本から供給し、キャブ、デッキ、フレーム等は現地のトヨタ・モビランド社が生産を行った。
搭載エンジンは 水冷直列4気筒OHV 1200cc のガソリンエンジンに4速フロアMTが組み合わされる。 ローサイドピックアップの最大積載量は855kgとなっており、当初の月販台数は200台であった。
初代キジャンはいろんな制約の中、台数も多く売れたとはいえないけども、国の発展に尽力を尽くした車であり、今もなお現役で使われているという現実に、敬意を表したい。
こちらの車事情は現代の車と混じって、1970年代の日本車を中心に40年選手が普通に走っているし、黄金キャンター(現地名Colt diesel)は写真を撮るのも面倒なくらいにウジャウジャ見かけます。 旧型商用車ファンにとっては夢のような世界ですね。
さて、インドネシアでは長年見てみたかった多目的車 「初代トヨタ・キジャン」 を獲得するのが最大のミッション。
貴重な初代キジャンをGetするため、暇をみてはいろんな場所を歩きまわったものの、大都市のジャカルタやスラバヤではキジャンの獲得ならず・・・
(2代目だったら見かけたが)
「都市部には居ない」と悟った私は、中部ジャワエリアの田舎地域で探索してみると、
そこには・・・

いた!いた!いた!いた!
朝市近くの屋台が並んだ場所で初代トヨタキ・ジャンが居ました!
でも駐車位置の関係でフロント側の写真撮影が今一つ。
近くにボーッと椅子に座っている人に、「この車のオーナーは誰?」 と聞いてみると、
その人は屋台に居る人を指差して教えてくれた。
早速キジャンオーナーに写真撮影の件で話しかけてみると、
キジャンオーナー ( ゚д゚ ) 「????」
何で俺の車を撮る必要があるのか? みたいな表情をしていたので、
チップを少量渡すと、キジャンオーナーは無言で車の方向へ歩き出しました。

青のノースリーブ ジャケットを着ている人はフリー誘導員で、キジャンオーナーを教えてくれたのもこの人。 車をバックさせる時に誘導し、その見返りにチップをもらうことで収入を得ているらしい。
写真を数枚撮った後、キジャンはすぐに走り出したため、細かい部分は観察できなくて残念でしたが、かなりオリジナルを保っている車体でした。
(理想をいうと、窓はガラスじゃなくて幌タイプを見たかった)

こちらも中部ジャワの地方都市で見かけた初代キジャン。
初代キジャンは1977年6月に発売された多機能車で、この初期モデルは「必要最低限の機能」と「過酷な使用環境にも耐えうる性能」、そして汎用性に豊んだ低価格車」というコンセプトに基づき、ノックダウン(CKDタイプ)された車両で、インンドネシアのほかフィリピンやマレーシアなどでも現地名で発売された。
(残念ながら日本での販売はされていない)
初代、2代目キジャンは折り紙細工のようなボディが特徴ですが、これにはインドネシアでノックダウン生産をする条件に、ボディ部品を現地で調達する必要性があったが、現地の技術で設備投資を少なくすることを考慮した結果、直線の折り曲げを行うベンドを中心にした結果だったから。

続いて中部ジャワのガソリンスタンドで見かけたピンクの初代キジャン。
ちなみに給油口は助手席側のドアノブ後方にあります。
オーナーが若いだけに、足回りを中心にカスタムされていました。 フロントバンパーは2代目キジャンからの流用らしく、フロントグリルのオーナメントは宗教的なものが取り付けてありました。

キジャンといえば、カロセリという町の自動車工場レベルのボディ架装メーカーとの繋がりが強く、カロセリ業者はバスボディやトラックの架装を手掛けてきた経験を生かし、初代キジャンも各地のカロセリの手によって様々なボディが製造されたそうだ。
(カロセリとはイタリア語のカロッツェリアの発音からきているのだとか)
画像のバスボディもそうしたカロセリ業者の一つが制作したものだと思われます。
(フロントフェンダーも違っていますね)
オーナーのリクエストに応じて架装してくれるため、ニーズに合った車が素早く手に入る一方で、雨漏りとかのトラブルも多かったのだとか。

カロセリの技術ではスライドドアやテールゲートを制作するのは厳しかったようで、ヒンジ式の2列目ドアやRRエンジン搭載車に見られたような、エンジンメンテリッドのようなリヤハッチが見受けられます。

インパネ周りは本当に必要最低限のものしか付いていませんでした。 エアコンも無いので当然HVAC(エイチバック)も必要ないし、ラジオや時計すらありません。
今の時代だと逆にシンプルな運転席も新鮮に感じるし、楽しそうなイメージがある。
不思議なものですね。
【Toyota Kijang】
製造期間 1977-1980年
絶滅度 ★★★☆☆
レア度 ★★★☆☆
満足度 ★★★★★
状態 現役車
撮影地 インドネシア 中部ジャワ地域
撮影日 2015年12月
【1976年12月】
トヨタは新たに開発した多目的用途車BUV(basic utility vehicle)をまずフィリピンに導入し、今後状況に応じて他の国々にも導入することを発表した。
(フィリピンではタマラオという名前で発売)
【1977年6月】
多目的用途車BUVをインドネシアで発売することとなり、トヨタ車の輸入・販売代理店である「トヨタ・アストラ・モーター社」を通じて販売された。
インドネシアでの車名は「Kijan:キジャン」とし、現地で鹿を表す言葉を使用した。
キジャンはインドネシアの工業化政策と多様化する輸送ニーズに対応するために投入されたもので、キジャンの組み立てはインドネシアのトヨタ車の組み立て会社である「マルチ・アストラ社」が担当するが、エンジン、トランスミッション、シャシー等は日本から供給し、キャブ、デッキ、フレーム等は現地のトヨタ・モビランド社が生産を行った。
搭載エンジンは 水冷直列4気筒OHV 1200cc のガソリンエンジンに4速フロアMTが組み合わされる。 ローサイドピックアップの最大積載量は855kgとなっており、当初の月販台数は200台であった。
初代キジャンはいろんな制約の中、台数も多く売れたとはいえないけども、国の発展に尽力を尽くした車であり、今もなお現役で使われているという現実に、敬意を表したい。
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